きもち の きろく

彼らの眩しい煌めきを記録しておきたい

カレーパンが食べたくなった

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 子どもたちと毎日一緒に過ごす仕事をしてるのに、この四年一度も罹らなかった。年度末で慌ただしい日々の中、まさかのタイミングで思いもよらぬ暇ができちゃった。年々免疫が上がっていて、流行っても流行ってもびっくりするくらい罹らないので、この今更感にめちゃくちゃびっくりした。何もできないけどどうしようかと悩んでる時にふと、「あれ!?これ、絶対に今じゃん!?」と気づき、『鬱憤』の再演を観劇した際に購入して自宅に届いていた戯曲を引っ張り出した。

 いや〜でもこの療養、一週間あとじゃなくて良かった。ここ三年はこの三月の卒園式を笑顔で迎えるために働いてたんだから。私も清水くんみたいに、うがいしたうがい薬を本気で飲みたくなるところだった。危ない危ない。

 

1. 暇になっちゃった

 

2. 人

 

3. 時は過ぎ去るものとは言うが

 

4. やっぱりカレーパンが食べたい

 

1. 暇になっちゃった

 私の鬱憤との出会いはグレショーだったし、グレショーの方を何度も見返している。だけど、再演版の戯曲を読んだ時に自然と頭の中で観劇した時の役者さんの声で再生されて我ながら驚いた。観劇したのは昨年。もう秋が来るのというのに溶けるように暑くて、まだまだ日陰を探して歩きたくなるような頃だったはず。半年程経つはずなのに、戯曲を開くとセットや光や音が綺麗に還ってきて嬉しくなった。戯曲を読んだのは初めてだったけれど、こんなに贅沢な楽しみ方があって良いのかと感激した。そのまますぐに藤井颯太郎さんのnoteに飛んでグレショー版も購入して読んだ。そういえば、グレショーでも特に好きな舞台は好きなシーンの台詞を何度も巻き戻しながら文字に起こしていたなと思い出した。

 

 

2. 人

 読み終えて一番に思ったのは何故か「あ〜久しぶりにカレーパンが食べたいな〜」だった(笑)

 このお話は何度見返しても心がじゅわっとあたたかくなる。物語の中には人と人のいろいろな繋がり方があって、人それぞれの普通がある。みんなそれぞれの人間性に遊びがあって、ものすごく人間らしい。お互いの人間性の遊びを解り合ったり、解り合えなかったり、別に解り合えることが全てでもないし、そんなことを互いに考えたこともないというような関係性だってあったり。そんな全てが絡み合って毎日が出来て日常が進む。

 

3. 時は過ぎ去るものとは言うが

 時は過ぎ去るものと言われるけれど、過去を置き去りにする気持ちになる必要はないと思う。十年前の瞬間、五年前の瞬間、一昨日の瞬間、昨日の瞬間、二年前の瞬間、二年前の一月の瞬間、その瞬間の自分がそこで生き続けている。

 由梨ちゃんの毎日、佑理の毎日はこれからも毎日やってくるけれど、優弥が置き去りになる訳ではない。今は変わっても優弥とのあたたかな毎日があったことは変わらない。状況が変化していたとしても、過去のあったであろうユズハちゃんとパパの時間は変わらないし、いつかは過去になるすずめちゃんと土田と笑いながら映画を観ている今だって変わらない。悠ちゃんと村上だって何年もかけて変わってきたし、変わっていくけれど何も変わらない。時も世も人の関係も流れていくものばかりではないし、ひとつじゃない。変わるものも変わらないものも同時に複雑に絡んでいる。時間を共にしている相手と自分が笑って生きている過去は現在も過去として在り続ける。

 だからこそ、星となって過去から未来に届けた優弥の切実な言葉はより痛みを感じたし、由梨ちゃん、佑理への溢れんばかりの愛と今の恐怖心と寂しさと‥‥複雑で言葉になりきらないたくさんの言葉を感じた。

 

4. やっぱりカレーパンが食べたい

 毎日を過ごしていれば何が正しいのか考えすぎて疲れる日もあるし、分かってるのに思わずうがい薬を飲んでしまうような日にも出会う。それでもどこかで今日みたいな暇を楽しむ暇、心の余裕を持ってたい。いろいろなものや人に出会いながらいろいろな毎日を過ごしていきたいし、それをいろいろな人と共にしたい。その環境、人、時間の全てを楽しんで感謝し、大切にしたい。随分前に戻るけれども、やっぱりカレーパンが食べたいな。 と、いうことはこういうことだったのかな。

 私の中の語彙の引き出しは少ないし、すぐまどろっこしい表現をするから、きっと土田や由梨ちゃんや佑理に何を言いたいか分からないし、何言ってるかも分からないって言われるな(笑)「あ〜久しぶりにカレーパンが食べたいな〜」を溶かすのに随分と時間がかかっちゃった。でも、この戯曲のおかげでとっても心がじゅわっとするあたたかい時間が過ごせた。

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 そういえば、由梨ちゃん、佑理が糸電話の留守電を聴いたのは二年後の何月だったんだろう。ちょうど丸二年とかだったのかな。二人は何年前の何月に恋人になったのだろう。二人は溶けるような暑さの中、日陰を探して歩いたりしたかな、春の訪れを感じながら梅の花を見たりしたかな、夜の公園でブランコ乗ったりしたかな。カレーパンはお気に入りのパン屋さんのものだったのだろうか、近所のどこにでもあるコンビニのカレーパンだったのだろうか。優弥と佑理の家の近くにはパン屋さんがあって、そこの美味しいチーズカレーパンを食べてたんだよね。カレーパンは帰り道によく優弥が買って来てたのかな、由梨ちゃん、佑理が見かけては思い出して買ってあげてたのかな。二人で散歩して買いに行くこともあったのかも。

 互いの時間と心を寄せ合ったそのあたたかな過去は、過去として現在も在り続けるんだよ。由梨ちゃん、佑理、その過去を現在のものとして在り続けさせるためにもやっぱりご飯食べて元気でいようね。

 この療養を終えたら卒園式やファンミが控えてる。今年の桜は入学直前の子どもたちと見るのか。それが散る頃にはもう一年生。今年卒園の子どもたちは赤ちゃんの頃から見てきているので、桜の木の青葉を一緒に見れない五月を待つというのはこれが初めて。来週末は卒園式にファンミに目が腫れる予感しかない。ケア予習しておかなきゃ。今晩はひとまずベランダから星と月を見ることにしよう。

 あ、近々忘れずカレーパンも買いに行って、誰かと食べよっと。