きもち の きろく

彼らの眩しい煌めきを記録しておきたい

幸せのものさし

 あと三日。

 あと三日でファンミ、あと三日で卒園式。この週末には大事なものがいっぱい詰まってる。変わらず忙しすぎる春を好きにはなれないけれど、今年は珍しくちょっとだけワクワクしている。この春は進化の春にしたいな。

 

1. 春のご機嫌アイテム

 

2. 小さな幸せ

 

3. 春を好きにはなれないけれど

 

1. 春のご機嫌アイテム

 今年も変わらず春のご機嫌で日々を楽しむようにしている。今年もミスドの桜ドーナツを食べたし、春服も買った。京セラが決まった時点で当落結果より先に春服を購入した。今年は梅を見に行けたし、この調子で桜も見に行きたい。春の間はすぐに休日を家でだらだら過ごしがちだけれど、こんな時だからこそ外に出て春のご機嫌アイテムを増やしながら過ごしていきたい。

 そして春といえばなんてったって佐野晶哉の誕生日。春夏秋冬わたしのご機嫌を上げてくれる大事な存在です。この一年前後、彼の言葉に感心することがたくさんあった。今年はそれをここにいくつか書き留めてお誕生日祝いブログということにしようと思う。

 

2. 小さな幸せ

そこにある小さな幸せが見つけられなくても

隣にいる君が微笑むから それだけでいい

いつか大きな幸せを掴んでも

セーブポイントはないから ゆっくり進んでこう

 

そこにある小さな幸せを探して

生きていくもんだろう?

君の選択肢は無限に広がってく

誰かのゲームの上 君らしくロールプレイ

次の冒険をさぁ始めようか

(ストーリぃ!の歌詞より)

 いつも考えやコメントが大人で感心させられることだらけの彼。こちらのこともいつもお見通しで、必要なフォローを、必要なタイミングとバランスでくれる。頭の中どうなってるのかなとも思う。この歌詞はその彼の頭の中のすみっこをちょっとだけ覗かせてもらえた気分だった。

 この曲を初めて聞いた数ヶ月後の全ツの挨拶にて、この歌詞を書いた人の挨拶だなと思った回があった。内容としては『ここにいる2時間、2時間とは言わずとも一瞬でも生活の中のしんどいこととか辛いことを忘れて楽しんでもらえたら。僕らがみんなのそこにある小さな幸せに、欲を言えば大きな幸せでありたい。』というような内容だった。同じように生きる人間なのだなと感じた挨拶だった。これを言える人は実際にしんどいくて辛いと思うことを自分の中の小さな幸せを探すことで上手く生きていこうとしてる人のセリフだと思う。この挨拶を聞いて改めてストーリぃ!は本当に彼の歌詞なんだと実感し、彼の人間味を感じた。

 先日のまさまさananが良かった。ananはいつも記事が良くて、心が潤う。大変助かる。その対談でグループに入るまでのこと、入る時のこと、バンドトリオについてなどの話が出てきた。二人で振り返ったのちに「引き止めて良かった。佐野ちゃんが辞めないで良かったと思ってくれてばの話やけど。」と言った正門さんに、彼は「いま俺、幸せですよ。辞めなくてほんまによかった。」と返答していた。選択も経験も努力も、日々小さな幸せを作ったり見つけたりしながら、全てを自分で幸せにしていく彼の強さを感じた。

 

3. 春を好きにはなれないけれど

 お誕生日おめでとう。気づけば22歳。親戚や友だちの子どもと子犬と推しの成長は早いものですね。もっとぽけ〜っとしてて、いつどの雑誌に載っても同じ固い顔をしていたのが、いつの間にか右口角だけ上げて悪い顔までするようになって‥‥。もともと中身は大人だけれど、外見もより大人っぽくなり始めて魅力だらけで困ります。これからもアイドルである自分のことも、そうじゃない自分のことも愛しながら過ごしてほしい。幸せであってほしいし、幸せであってほしいと心から願える私も幸せな奴だと思う。いつもいろいろな形での幸せのお届けをありがとう。

 待ちに待った今年の春がやってくる。今年の卒園を見届けるために働いていた。見届けたあと、この春はまた別の場所で新しい子どもたちに出会う。新しいところに行った方が環境が良いかもしれないし、案外辞めてしまってから従来のところの方が良かったと感じるかもしれない。始まって過ごしてみないとわからないが、また新しいところで学べる挑戦にはワクワクしている。春の変化が好きではない私にとっては珍しいが、楽しみな気持ちが勝っている。物事に対して受動的になるのではなく、変わって良かったと思えるように自分からも働きかけていきたい。この春は変化と共に進化する春にしたいと思う。

 幸せのものさしは人それぞれあると思う。どこからどこまでを幸せと感じるか、どのようなことを幸せと感じるか。働いて、人と関わって、生きているだけで日々いろいろなことがある。その中で彼を見習って小さな幸せを見つけたり作ったりしながら自分で幸せな毎日を作っていきたい。

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カレーパンが食べたくなった

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 子どもたちと毎日一緒に過ごす仕事をしてるのに、この四年一度も罹らなかった。年度末で慌ただしい日々の中、まさかのタイミングで思いもよらぬ暇ができちゃった。年々免疫が上がっていて、流行っても流行ってもびっくりするくらい罹らないので、この今更感にめちゃくちゃびっくりした。何もできないけどどうしようかと悩んでる時にふと、「あれ!?これ、絶対に今じゃん!?」と気づき、『鬱憤』の再演を観劇した際に購入して自宅に届いていた戯曲を引っ張り出した。

 いや〜でもこの療養、一週間あとじゃなくて良かった。ここ三年はこの三月の卒園式を笑顔で迎えるために働いてたんだから。私も清水くんみたいに、うがいしたうがい薬を本気で飲みたくなるところだった。危ない危ない。

 

1. 暇になっちゃった

 

2. 人

 

3. 時は過ぎ去るものとは言うが

 

4. やっぱりカレーパンが食べたい

 

1. 暇になっちゃった

 私の鬱憤との出会いはグレショーだったし、グレショーの方を何度も見返している。だけど、再演版の戯曲を読んだ時に自然と頭の中で観劇した時の役者さんの声で再生されて我ながら驚いた。観劇したのは昨年。もう秋が来るのというのに溶けるように暑くて、まだまだ日陰を探して歩きたくなるような頃だったはず。半年程経つはずなのに、戯曲を開くとセットや光や音が綺麗に還ってきて嬉しくなった。戯曲を読んだのは初めてだったけれど、こんなに贅沢な楽しみ方があって良いのかと感激した。そのまますぐに藤井颯太郎さんのnoteに飛んでグレショー版も購入して読んだ。そういえば、グレショーでも特に好きな舞台は好きなシーンの台詞を何度も巻き戻しながら文字に起こしていたなと思い出した。

 

 

2. 人

 読み終えて一番に思ったのは何故か「あ〜久しぶりにカレーパンが食べたいな〜」だった(笑)

 このお話は何度見返しても心がじゅわっとあたたかくなる。物語の中には人と人のいろいろな繋がり方があって、人それぞれの普通がある。みんなそれぞれの人間性に遊びがあって、ものすごく人間らしい。お互いの人間性の遊びを解り合ったり、解り合えなかったり、別に解り合えることが全てでもないし、そんなことを互いに考えたこともないというような関係性だってあったり。そんな全てが絡み合って毎日が出来て日常が進む。

 

3. 時は過ぎ去るものとは言うが

 時は過ぎ去るものと言われるけれど、過去を置き去りにする気持ちになる必要はないと思う。十年前の瞬間、五年前の瞬間、一昨日の瞬間、昨日の瞬間、二年前の瞬間、二年前の一月の瞬間、その瞬間の自分がそこで生き続けている。

 由梨ちゃんの毎日、佑理の毎日はこれからも毎日やってくるけれど、優弥が置き去りになる訳ではない。今は変わっても優弥とのあたたかな毎日があったことは変わらない。状況が変化していたとしても、過去のあったであろうユズハちゃんとパパの時間は変わらないし、いつかは過去になるすずめちゃんと土田と笑いながら映画を観ている今だって変わらない。悠ちゃんと村上だって何年もかけて変わってきたし、変わっていくけれど何も変わらない。時も世も人の関係も流れていくものばかりではないし、ひとつじゃない。変わるものも変わらないものも同時に複雑に絡んでいる。時間を共にしている相手と自分が笑って生きている過去は現在も過去として在り続ける。

 だからこそ、星となって過去から未来に届けた優弥の切実な言葉はより痛みを感じたし、由梨ちゃん、佑理への溢れんばかりの愛と今の恐怖心と寂しさと‥‥複雑で言葉になりきらないたくさんの言葉を感じた。

 

4. やっぱりカレーパンが食べたい

 毎日を過ごしていれば何が正しいのか考えすぎて疲れる日もあるし、分かってるのに思わずうがい薬を飲んでしまうような日にも出会う。それでもどこかで今日みたいな暇を楽しむ暇、心の余裕を持ってたい。いろいろなものや人に出会いながらいろいろな毎日を過ごしていきたいし、それをいろいろな人と共にしたい。その環境、人、時間の全てを楽しんで感謝し、大切にしたい。随分前に戻るけれども、やっぱりカレーパンが食べたいな。 と、いうことはこういうことだったのかな。

 私の中の語彙の引き出しは少ないし、すぐまどろっこしい表現をするから、きっと土田や由梨ちゃんや佑理に何を言いたいか分からないし、何言ってるかも分からないって言われるな(笑)「あ〜久しぶりにカレーパンが食べたいな〜」を溶かすのに随分と時間がかかっちゃった。でも、この戯曲のおかげでとっても心がじゅわっとするあたたかい時間が過ごせた。

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 そういえば、由梨ちゃん、佑理が糸電話の留守電を聴いたのは二年後の何月だったんだろう。ちょうど丸二年とかだったのかな。二人は何年前の何月に恋人になったのだろう。二人は溶けるような暑さの中、日陰を探して歩いたりしたかな、春の訪れを感じながら梅の花を見たりしたかな、夜の公園でブランコ乗ったりしたかな。カレーパンはお気に入りのパン屋さんのものだったのだろうか、近所のどこにでもあるコンビニのカレーパンだったのだろうか。優弥と佑理の家の近くにはパン屋さんがあって、そこの美味しいチーズカレーパンを食べてたんだよね。カレーパンは帰り道によく優弥が買って来てたのかな、由梨ちゃん、佑理が見かけては思い出して買ってあげてたのかな。二人で散歩して買いに行くこともあったのかも。

 互いの時間と心を寄せ合ったそのあたたかな過去は、過去として現在も在り続けるんだよ。由梨ちゃん、佑理、その過去を現在のものとして在り続けさせるためにもやっぱりご飯食べて元気でいようね。

 この療養を終えたら卒園式やファンミが控えてる。今年の桜は入学直前の子どもたちと見るのか。それが散る頃にはもう一年生。今年卒園の子どもたちは赤ちゃんの頃から見てきているので、桜の木の青葉を一緒に見れない五月を待つというのはこれが初めて。来週末は卒園式にファンミに目が腫れる予感しかない。ケア予習しておかなきゃ。今晩はひとまずベランダから星と月を見ることにしよう。

 あ、近々忘れずカレーパンも買いに行って、誰かと食べよっと。

春を好きにはなれないけれど

先日卒園式を迎えた。

社会人になって初めて出会い、私を"先生"というものにしてくれた子どもたちの卒園。小さな赤ちゃんだったはずの子どもたちが名前を呼ばれて大きな声で返事をし、卒園証書を取りにたくさんの人の前を一人で歩く。私は証書を取りに入場するアーチの裏で待機し、子どもたちを順に送り出すという補助係をしていた。

5年前、毎日抱っこして寝かせていた子ども達。あの子達が卒園式で歩く背中はとても大きくて立派だった。誇らしかったけど、やっぱりちょっとだけ寂しくなった。

今年の卒園式は春風が吹く、とてもあたたかい日だったなあ。

 

【もくじ】

1. 春を好きになれない

 

2. ご機嫌アイテム

 

3. 小さなこだわり

 

4. やりたいことって

 

5. 幸せの哲学と生活

 

6. 生かすも殺すも

 

7. 今ならアンドロメダの彼方までいける

 

 

1. 春を好きになれない

私は春を好きになれない。仕事を初めてからは特に。

環境の変化という刺激に弱い私にとって年度替わりである春は精神的にも肉体的にも疲弊してしまう。

職業柄年度替わりは本当に忙しくて、3月に入る頃にはもう余裕がない。たくさんの出会いや別れ、人が忙しなく動く慌ただしいあの雰囲気もしんどい。基本的に刺激より安定を求める性格の私にとって3月はとにかく余裕がなく、希望なんてものより常に不安のほうが大きい。

 

2. ご機嫌アイテム

そんな春嫌いの私にも春のご機嫌アイテムはいくつかある。

まずは桜。余裕があればカメラを持って撮影に行く。見るのも好きだけど、食べるのも好き。ミスドの桜味ドーナツ美味しすぎて毎年食べてる気がする。

あとは春服。デニムもブラウスも白いスニーカーもパステル調の小物も、春服は本当に可愛くてワクワクする。自分の機嫌は自分で取らなければと言い聞かせるようにしています。

そしてもう一つは私の推しの誕生日。佐野晶哉くんの誕生日。毎年体力ギリギリで迎える誕生日ですが、今の所ギリギリ何らかの形でお祝いができてる。推しのこと考えているの楽しいんですよね。結局、私の最大の春のご機嫌アイテムは間違いなく佐野晶哉ですね。春に限らずですけど。(小声)

 

3. 小さなこだわり

生活に浸透している音楽。幼少期からピアノ、学生時代は吹奏楽トロンボーンをしていた。

ソロでの演奏は好きになれなくて、ピアノは連弾の方が好きだったし、吹奏楽もソロパートはあまり気が向かなかった。一人ではつまらないハモリ楽譜をみんなと合わせて一つの音楽にするのが楽しかった。一人では完結できない音楽が好きだった。大好きな仲間の楽しそうに演奏する背中を見るのが好きで、私にとってトロンボーンのひな壇上段の最後列ポジションは特等席だった。トロンボーンがまたしたいというよりは、合奏がしたいなあ。

 

私は口を開けて笑いながら楽器を鳴らすAぇ! groupのあの子たちを観ると、音楽がめちゃくちゃ楽しいことを思い出して心がぎゅっとする。

みんなすごいいい顔をして演奏をするよね。特に天を仰ぐように口を大きく開けて笑いながらスティックを振りかぶる晶哉の姿が大好き。全身で音楽を遊ぶ感じが良い。あのキラキラした笑顔にいつも吸い込まれそうになる。あっという間に虜になった。

舞台のスポットライトの熱さも眩しさも、浴びる拍手の音も宇宙一最高だから、私はいつもペンラにストラップを付けて曲終わりには精一杯の拍手を送るようにしてる。

 

4. やりたいことって

解決志向アプローチ とは

このアプローチの最大の特徴は、「問題やその原因、改善すべき点」を追求するのではなく、解決に役に立つ「リソース=資源(能力、強さ、可能性等)」に焦点を当て、それを有効に活用することにあります。 「何がいけないのだろう?」と考える代わりに「自分が望む未来を手に入れるために、何が必要なのだろう?

今年必修のマネジメント研修を受けた。問題解決で大事なのは必ず成功体験を分析して問題解決に向かおうというもの。これ絶対に去年の私に聞かせるべきだった。

仕事を始めて4年目だった昨年、やりたい仕事をしてるのに、この仕事で私がやろうとしてるやりたいことってなんだろうって一気に分からなくなった。3年目までは経験も浅く、言われることや与えられることにあまり大きく疑問を持たずに取り組めた。でもこの仕事が好きになればなるほど、本気で子どものことを考えれば考えるほど疑問ばかりが増え続けた。
疑問に思ったことを納得できるまで何度も尋ねて話し合えばよかったかもしれないが、疑問が溜まりに溜まったその頃にはそんな勇気も時間も余裕も自信も全て失っていた。

大好きで楽しかった仕事が辛くなり、笑えなくなった。私の心が荒れると共に驚くほど子どもたちも荒れた。失敗体験から反省し、分析しようとしては失敗を繰り返して完全に負のループだった。慎重すぎる性格が仇となり、自分の良いところも子どもたちの素敵なところもたくさん見逃してしまった。

考えすぎた結果気づけば動けなくなり、それまでできていたとても簡単な仕事すらできなくなっていた。

 

2021年の12月、PRIDEが初披露されたオリックス劇場の単独公演初回にて、「俺らが先頭の関ジュ、気持ち的に大きく変わるのかと思ったけどやっぱりみんなを楽しませて自分たちも楽しむだけ(ニュアンス)」と挨拶する晶哉が頼もしかった。

私はアイドルたちが心から笑い、心から楽しむ姿を見るのが一番好き。その姿からいつも元気や癒やしをもらい、私も頑張ってみようという気持ちを引き出してもらっている。人を笑顔にするには、人の心を安定させるためには、まず自分が笑顔で楽しんで、自分の心を安定させなければならなかった。

仕事を始めて3年間当たり前にしていたはずなのに他のたくさんの事に惑わされて頭を抱えた結果、一番当たり前で大切なそれが4年目になって少しずつできなくなっていた。

ライブの推しの挨拶でこんな振り返り方をするだなんて思ってもみなかったけれど、自分をもう少し大切にしながらもう一度やってみようと思えた復帰13日前の夕方だった。

彼には一生そのスタンスで、自分たちが一番楽しみながらアイドルをしてほしい。"アイドル"の自分たちに自信を持ってずっとずっと好きでいてほしい。

 

5. 幸せの哲学と生活

心がバラバラになってた頃、私の心を何度もくっつけ直してくれたのはグレショーだった。特に『銀河鉄道の夜』は大好きで何度も何度も観た。自分でも驚くほどこの銀河鉄道の夜に熱中した。この番組を見て色々考えている時間は至福の時間だった。

銀河鉄道の夜から "幸せとは?" とか "人と人って?" とか "人権とは?" とか仕事だけでなく自分の生活や人生についても少し考えるようになった。無意識に自分で自分を否定しながら仕事をしてがちがちになった思考も心も溶かしてもらい、フラットにする大切な時間になっていた。

 

アイドルとは自分を商品として時にプロデュースされ、時に自らプロデュースして魅せていく仕事だと思う。本当に大変な仕事だろうが、晶哉が今アイドルという仕事を選んでくれていることで出会えたものがたくさんあり、心から感謝している。この仕事で得るものは多くあるのかもしれないが、共に失ったものだってあるはず。きっと学生生活ではアイドルをしていることで足りなかったところ、大変だったところが多かっただろう。

人と関わる仕事は人との関わりから得る喜びが多い。それと同じくらい人から受けて傷つくことも多いと思う。ときにはアイドルである自分を非難されたときに、自分自身を否定されたように思うこともあるかもしれない。

私たちがスイッチを入れて素ではない自分で働くのと同じように、アイドルも近しいところがあるはず。アイドルというものは自分が商品かもしれないけれど、アイドルではない時間の本当の自分を見失わない心の居場所を持っていてほしい。

アイドルはあくまで仕事として、アイドルの自分というものを作っていてほしい。アイドルである佐野晶哉も、ひとりの人としての佐野晶哉も晶哉自身が一番大切にしてほしい。

なんて、余計なお世話か。

 

6. 生かすも殺すも

世はパワハラ、セクハラ、モラハラアルハラ、マタハラというような "なんとかハラ" というもの認識が増えている。加害者とされる方はおそらく皆「そんなつもりではなかったんです」と言うはず。しかし、この場面のジャッジで重きを置かれているのは、加害者とされる方がどんなつもりだったかというより、被害者とされる受け取った方がどう受け取ったかというところ。

言葉というものは発信の仕方と同じくらい、受信のされ方を考えるということに重きが置かれていると思っている。そうなると、言葉のナイフというものはやはり思っている以上に複雑で多様なのかもしれない。

多様性、人権、受け入れる、支援するなんてことをよく聞くようになった。世が良くなる第一歩であり、ある程度変化の工程の一つではあろうが、まだまだ知識が少なく上っ面で、気遣いが気遣いの仕事を成していないときも見受けられる。何事もまず知るところから。知らないことは調べて、まずは色々な物事や考え方があるということを知るところから始めたいと思っている。

 

私はアイドルを生かすも殺すも消費者次第だと思ってる。

昨今アイドルへのストーカー行為についての記事なども見かけることが増えた。きっとこれは大昔からあったことだろう。私は若い女の子のアイドルがストーカーに遭い、自分や周りの大切な人の安全が守れなくなったため『普通の女の子に戻ります』と言ってやめてしまったのを知っている。「そんなことするやつばかりではない!」、「そんなのばっかりだと思わないで!」、「こんなことをするやつはファンではない!」なんてことは百も承知。

これはその人がファンだとかファンではないとかいう話ではない。そのようなリスクもある中、私たちにたくさんの元気や笑顔を届けてくれている事実があるということ。

だからこそ彼がアイドルとして生きたいと思う理由ほどにはなれなかったとしても、微力ながら全力で応援し続けたいと思っている。そしてオープンに応援している以上、言葉のナイフには重々気をつけていきたい。

 

7. 今ならアンドロメダの彼方までいける

少なくともこの大好きな仕事を続ける限りはずっと春が怖いままだろう。たくさんの刺激に疲れて地面に沈んでいきそうな夜も、カーテンを開けたくない朝もいつもエンタメに助けられてきた。私の生活とアイドルは切っても切れないとても大きな存在といえる。

この春には全国ツアーがある。幼馴染と遠征をする予定。ライブはもちろんのこと、幼馴染と美味しいラーメンを食べるのをすごい楽しみにしていて、ラーメンマップアプリでホテル付近や会場付近のラーメン屋をめちゃくちゃ調べまくった。こうして、直接的に、間接的にたくさんのワクワクをもらっている。今年の春も不安で怖いのには変わりないが、彼らの存在に頼りながら私自身が笑顔で楽しみながら頑張ろうと思う。

 

「今ならアンドロメダの彼方までいける」

ガチネバ挿入歌の歌詞より

 

「6人でいればどこまででも行ける気がします。」

おてんと魂ドキュメントの晶哉のコメントより

 

いつも勇気と元気と楽しさをありがとう。

21歳おめでとう。

アンドロメダ天体というものは肉眼で見れる最も遠い天体であるらしい。

Aぇ! groupならきっとアンドロメダの彼方までもいける。どこまでもいけるよ。どこまでも応援させてね。

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ヴィンセント・イン・ブリクストンで触れたリアル

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2022年10月30日のお昼、『ヴィンセント・イン・ブリクストン』を観劇した。いわゆるジャニーズの外部舞台を観劇するのはコロナ禍直前に観た森田剛の舞台『FORTUNE』ぶりだった。ゴッホや時代背景を調べていくうちにゴッホという人物に興味が湧き、更にワクワクがとまらなかった。今回正門担のお友だちの連番提案によりお邪魔させていただくことになったただの佐野担がブログにするなんてどないなん?と思ったが、感じたたくさん過ぎる程の刺激と感覚をなるべく新鮮なままで取っておきたかったため、短いブログにすることにした。

 

【もくじ】

1. 舞台作品という人の手で作られるリアル

 

2. ゴッホというリアルな人間の特性と欠点と良さ

 

3. 正門くんが演じるゴッホのリアル

 

1. 舞台作品という人の手で作られるリアル

カメラワークによって自動的にフォーカスされていく映像作品とはまた違って、照明の動きによって自らの視線でフォーカスしていく生の舞台ならでは面白さをまた思い出した。その空間すべてを自分で選択してフォーカスできることも贅沢。舞台の生の観劇はなんて贅沢なエンターテイメントなんだろうと思った。

また、今回の舞台はセットは変わらないものの自然光を表現する光の演出や変化が素晴らしくて心地よかった。自然光どころか窓すら存在しないはずの劇場。でもセットの扉と窓の外には確かにその空間があるようで。たったその光と影でこんな美しい空間が出来上がるのかと感激した。

本物を使って撮影し、画面越しに見る映像作品のリアル。リアルを追求しながら人工的に人の手で作られているが、直接的に生で観劇する舞台作品のリアル。リアルに魅せるために考えて人の手で作り込むからこそ仕上がるリアルというものもこんなに美しのだと知った。

 

2. ゴッホというリアルな人間の特性と欠点と良さ

事前に情報を入れた上で観劇したかったのでネットでゴッホの生涯と当時の時代背景などを簡単に調べていった。物事を文字通りに捉え、時には空気が読めず、感情のコントロールは苦手で良くも悪くも素直すぎる。極端で大胆だけどとても繊細で、人の顔色を苦手なりに伺い、恐らく幼少期から愛情に飢えて生きた人というのが調べた際に個人的に解釈したゴッホの人物像。

数時間前まで私の中のゴッホというものはネット調べられる程度の情報だけでただ知った "歴史上本当にいたらしい人物" だったのが、正門くんが演じるゴッホを見ることで私の中のゴッホが "リアルに生きていた人間" になった。

ゴッホは人として欠点として見られてしまうような苦手な物事も多いけれど、少なくとも正門くんが演じたゴッホはその欠点となる自分の特性にも多少自分で気づいているようで。でも特性は自分の努力や頑張りでは直せるものではない。それが特性だから。正門くんが演じるゴッホはそれと付き合い、時には苦しみながらも生きる姿がとても人間らしかった。壮絶な人生の中、それでもなんとか人々の中で37年間生きてきたのは、あの嘘のない素直さとそこからくる愛嬌だったのだろう思えた。

 

3. 正門くんが演じるゴッホのリアル

当たり前だが、私はゴッホに出会ったことはない。もちろんその時代に行ったことはないし、その土地に行ったことすらない。私はゴッホの本当のことは何も知らない。ただ、正門くんが演じるゴッホはリアルだと感じた。では、いったい何をもって "リアル" というのか。それは正門くんが情報から紐解いて落とし込み、表現する人間の深みだと思う。

あまりにも簡単すぎる言葉で大変失礼な表現ではあるが、ゴッホの生涯を表面上だけで知るとただの "狂った男" だった。けれど正門くんが演じるゴッホはただの狂った男ではなかったように思う。たくさんの兄弟の長男として生まれたゴッホも、画商として働くゴッホも、絵を描くゴッホも、画家となるゴッホも、様々な事件を起こしていくゴッホも、壮絶な人生により自ら生命を絶ったゴッホも、私たちと同じく生きていた人間だった。特性や家庭環境、生きる上であらゆる影響を受けて様々な思考をもち、人となる。生まれながらの狂った男なんておらず、たくさんの要因から出来上がった人間のある形の結果にしか過ぎない。正門くんの演じるゴッホはそれを感じさせるものだった。私はその正門くんが演じたゴッホの "人間らしさ" を "リアル" だと感じたのだろう。

正門くんがどのようにゴッホを解釈したのかは分からない。しかし、歴史上の人物を歴史上の情報として知り、それを解釈して演じることができる洞察力と表現力は天才だと思った。

正門くんは日頃たくさんの人々と出会う中でいったい何を感じ、何を考え、何を吸収しているのだろう。正門くんの瞳が見る世界を見てみたいと思った。

子どもと大人と生と死と

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楽しみにしていたHOMESTAY。最近のとなりのチカラにどハマりで長尾くんの演技が楽しみでしたし、予告で見たストーリーも面白そうで期待してました。どきどきワクワクしながらタップした2022年2月11日0:00。たくさん考えた1時間52分でした。いま感じた気持ちを残しておきたいと思ったのですが、ツイートするには量が多くなりそうなので残しておきたい個人的感想のみを並べて簡単なはてブにします。

【下記、今回の言い訳】

まとめてみて改めて気づきましたが、私自身いい歳した大人の割には比較的子ども的な感覚でも物語を観てたと思います。(おい、成人女性)  子どもは子ども、大人は大人ではなく、母親だって父親だって人は平等にみんな人やん、と言われると まあせやんな…… と思います。が、今回はあくまで "真、シロはまだ経験の浅い子ども"、"周りの大人たちは何十年と広い社会で生きて経験をしている大人" として捉えた上での感想を書きました。

という言い訳をしてからはじめます。

 

【もくじ】

1. 環境と感覚

●悲観的なわけじゃない現実的なだけだ

●生物学的生命と社会的生命

●同調と個性と学校社会

2.「死にたい」は、生きたいの叫びなんだ。

●死ぬ瞬間と誕生日

●"死"という形の生

3. 愛とエゴ

4. 大人的感覚と子ども的感覚

●第三者と当事者の物語の見方

●この物語と長尾くん

5. さいごに

●この物語から受け取ったもの

 

 

1.環境と感覚

●悲観的なわけじゃない現実的なだけだ

「僕ははじめから誰の目にも写っていなかったんだ 母親の目にさえも」(真が観た車内の母の姿の記憶と、いまシロが目の前で見ている他人の家族といる母の姿がリンクした時に発せられるシロの心情のナレーション)

「みんなが真を殺した みつるに母親、父親、美月 真に気づいてやれなかった全員がまことを自殺に追い込んだんだ」(母の姿を見たあと、雨の中の夜の橋でクイズに答えるセリフ)

「あんたはいいよ他人の家族に逃げれたんだから 真に逃げ場なんてなかった 死ぬしかなかったんだよ 絵なんか飾らなくていい ちゃんと向き合ってやれよ 真はもう死んだんだ」(帰宅しないシロを探しに来た母を突き飛ばして言うセリフ)

上記のセリフたちは第三者ではない当事者であるシロ、真の苦しい心からの叫びでした。

僕は悲観的なわけじゃない 現実的なだけだ 僕がいなくなっても その場所を埋める必要はない 今だってみんなにとっては初めから空白なんだから 笑ったり泣いたり怒ったり喜んだりこうしてる間にもみんなの日常はまわっている 矛盾しているかもしれない けれどこの瞬間に僕は思う 僕が死ぬことで誰かが僕に気づいてくれればいい」(真が書いた遺書の文章)

真は 僕は悲観的なわけじゃない 現実的なだけだ と表現しています。これがまた真の苦しみ全てを表現していますよね。真としては自分は悲観的に、感情的になっているわけではない、現実的に自分の置かれている "事実" を真なりに見つめた結果の選択だということです。

 

●生物学的生命と社会的生命

生物学的生命と社会的生命、これは分かりやすくまとめる為に先程思いついた造語です。(造語かい)(息の根が止まり、生物学的に死を迎えるという意味での生物学的生命、息はしているが、社会的に立場、存在意義を喪失して社会的に死を迎えると当事者が認識するという意味での社会的生命という2種の生命があるとします。とりあえず。造語です。)

自分という存在は自分で作るものだと思います。人間というものは人的、物的環境により消えたり現れたりするのもではなく、生物学的生命が続く限りそこに存在し続けます。しかし、自分という存在をはかる物差しは本人の心情の揺れなどにより、時には絶対的なものではなく相対的なものであったり、取り巻く環境により自分の存在というものが意図せず変化させられるように感じたりしてしまいます。本来は父親が海外出張でなかなか家庭に戻らなくても、母親が他人の家族と仲良しごっこをしていても、好きな女の子に好きな女の子がいても、真は真です。事実はそうであり、当たり前のことではありますが人には感情があり、更に人は一人では生きられず常に周りの人との関わりが生きることにおいて大きいため、そうはいきません。自分の想像や期待とは違うことが起きたときに困惑するのも分かります。

真にとって母親と父親がいて自分という存在が産まれ、兄や友だちがいて自分という存在があります。そうだと思っていたはずなのに想像や期待と現実は違っていて、それに気づいてからは自分の存在意義や居場所を探したと思います。社会的生命の危機を感じたはずです。真なりに周りと自分の関係性を現実的に見て、急に自分という存在が宙ぶらりんになったような気持ちを感じたんだと思います。

 

同調と個性と学校社会

世の中は少しずつ多様性というものを重視し始め、個人の人権を尊重する方向に傾いています。しかし、まだまだ学校社会のシステムは昔ながらの軍隊式の面が多いです。(一人で数十人の子どもたちをまとめて安全に過ごすためにはこの方式が簡単なんだと思います。システムを変えたくても、そこまでには国としての制度変更なども必要なため簡単な話ではないはずです。この辺りの話を深堀すると長くなるので割愛します) 学校(幼稚園、保育園、人によって違いますが…)は子どもたちがはじめて出る社会です。社会で生きる中では様々な壁にぶつかります。当たり前にみんなそれぞれ生きてきた背景が違うので思想が1から100までマッチすることは限りなくゼロに近いです。人との関わりで時には同調を求められることがあったり、角を立てないように自ら同調を選択することもあります。周りとの関係を気にして同調を求める世の中とそれと同時に個性も求められる矛盾。今回の真と美月関係、美月と美月の好きな女の子の関係等、随所に本音と同調と個性の問題が出てきました。

上記で学校は子どもたちが初めて出る社会と表現しました。学校は社会の縮図であり、また環境が狭いため逃げ場が少なく、思考も閉鎖的になったり極端になったりと偏りがちになるのは当たり前です。また、真もこの世に生まれてたった十数年であり、経験も浅いです。そんな真と大人の感覚が違うのも当たり前だと思います。真が生きる社会は大人の生きる社会より狭く、真の感覚や思考は大人の感覚や思考より一面的なのも当たり前です。よって、大人から見た"現実的、悲観的"と本人の"現実的、悲観的"が食い違うのも当たり前ですよね。それを理解できている大人が真の近くにいれば、さらに「理解しているよ、分かってるんだよ」ということが真にも分かるように表現できる大人が近くにいれば、真の人生はまた別物だったろうと思います。

 

2.「死にたい」は、生きたいの叫びなんだ。

●死ぬ瞬間と誕生日

「死にたい」は、生きたいの叫びなんだ。

これはこの物語のキャッチコピーになっており、長尾くんも日刊で「良い言葉ですね」と話していました。このキャッチコピーはまさに物語全体を表したものだと思いますが、あるシーンでよりこのキャッチコピーを強く思い出しました。

「俺は俺を殺した 俺が真だ」に繋がる砂時計が落ちきる直前のシーン。死を目前とした瞬間にケーキのろうそくを吹き消すシーンが流れました。死ぬ目前なのに誕生日という年齢を重ねる瞬間が思い出される描写が惨かったです。あのシーンはシンプルに死に際に見えた楽しい思い出の走馬灯だろうし、シロが自分自身が真だと思い出したから蘇った記憶でもあると思います。ただ、そのシーンの冒頭がストーリーに出てきたキャンプの様子などではなく、ある年の誕生日の描写でした。死と生は真逆のはずなのに、あの死の瞬間に生を感じさせるような歳を重ねるという誕生日の瞬間の記憶が蘇ったシロ。シロは死を感じたあの瞬間、一番強く生を感じたのだろうと思います。

 

●"死"という形の生

「僕が死ぬことで誰かが僕に気づいてくれればいい」と遺書に書いて死んだ真。ずっとずっと "本当の意味で" この世を生き続けたかったはずの真。一番強く生に執着していたはずです。だからこそ死ぬことで誰かに気づいてもらおうとし、生と真逆とも思える死という形で生を取ってしまったんだと思います。死ぬという形で誰かの中で生き続けることを選んだ真は死の瞬間、何を見たのでしょうか。

 

3. 愛とエゴ

【愛】とは

①親兄弟のいつくしみ合う心。広く、人間や生物への思いやり。万葉集5「―は子に過ぎたりといふこと無し」 ②男女間の、相手を慕う情。恋。 ③かわいがること。大切にすること。御伽草子、七草草子「己より幼きをばいとほしみ、―をなし」 ④このむこと。めでること。醒睡笑「慈照院殿、―に思し召さるる壺あり」 ⑤愛敬あいきょう。愛想あいそ。好色二代男「まねけばうなづく、笑へば―をなし」 ⑥〔仏〕愛欲。愛着あいじゃく。渇愛。強い欲望。十二因縁では第8支に位置づけられ、迷いの根源として否定的にみられる。今昔物語集2「その形、端正なるを見て、忽ちに―の心をおこして妻めとせんと思ひて」 ⑦キリスト教で、神が、自らを犠牲にして、人間をあまねく限りなくいつくしむこと。→アガペー1。 ⑧愛蘭アイルランドの略。

(広辞苑より)

【エゴイスティック】とは

利己的。利己主義的。自分本位。

(広辞苑より)

「今だからわかることもあるだろう お前はまだわかんねえのか 黙ったまんまで察してくれなんて甘ったれんな 美大に行きたいんだったらお前もちゃんと父さんと向き合えよ 言葉にしなきゃ何も伝わらねえんだ」

「それはあんただって」

「そうだよ、だから今こうやって話している 地味で暗くて自信も社交性もない 毎日俺の後ばっか付け回して転んでは泣いて目が離せない必要以上に世話の焼ける弟がある日突然居なくなってそのままいられるとおもうか? 目の前で死んでいくのを見て平気だと思うか? 誰の目にもうつってない? お前の目には何が見えてたんだ ふざけんな」(シロと母親が事故に合い病院で目が覚めた後、母親の様態を見に行ったシロと兄のやり取りのセリフ)

兄なりの不器用な表現ではありますが、誰かはあなたを見ていて誰かには愛されていることに気づいてというメッセージだと私は思いました。これはシロが真の死の理由に気づく大事なセリフの一つだったと思います。しかし、思いやりや愛というものは形としては見えづらく、時にはエゴだと感じられるものもあると思います。私は伝える側が思いやりや愛だと思っていてもそれが受け取る側がエゴだと認識した時点で残念ながらそれはエゴになってしまうと解釈しています。シロ、真の主観で描かれているからとはいえ、正直あの環境下で周りの気持ちを真っ直ぐありのまま受け入れられるでしょうか…?真やシロの考えがああなるのも無理ないように思います。『●同調と個性と学校社会』でも書いたように、子どもの環境や感覚を鑑みて大人が寄り添い、受け取る側に配慮した表現の仕方を行う必要もあったのでは?と感じてしまいます。

 

4. 大人的感覚と子ども的感覚

●第三者と当事者の物語の見方

このストーリー、大人が観るか子どもが観るかで随分受け取り方が変わってくるような気がします。というのも、三者として観るか、当事者として観るかという違いです。私自身はそこも面白い点だなと思いながら観ていました。自分の中のわだかまりがある程度払拭できた後、大人になってこの物語を見れば、高校生のシロや真に感情移入しつつも第三者目線で観れると思います。

私の感覚としてはこの物語は大人が見て、それぞれ自分の人生を咀嚼できる、大人的感覚のものという風に感じました。(それが良いだとか悪いだとか、好きだとか嫌いだとか言う話ではなく) 悩みごと等の大小に限らず(そもそも第三者が大小付けれるものではないが)もし真のような当事者である子どもが観ると恐らく周りからの愛に気づいて、俺が俺を殺したというような表現は間接的であれ、なかなか衝撃的な気がします。あくまでこれは私の受け取り方であり、『●同調と個性と学校社会』で書いたように、それぞれ生きてきた背景が違うので思想が1から100までマッチすることは限りなくゼロに近いため、受け取り方は十人十色です。愛とエゴのように改めて自分から発信する表現と受け取る側の解釈の難しさを感じました。

 

●この物語と長尾くん

ここに来てやっと長尾くんの話をしますが、長尾くんハチャメチャに良かったですね、マジで。何度も映像の美しさと、長尾くんのセリフまわしや目線の動きの繊細さに心奪われました。2度ほど通してみて、それ以降は好きなシーンを巻き戻しながら堪能しました(笑)

シロとしてホームステイを始めて真の家族の顔色を伺いながら頷くシロも、デート服を探すのに生き生きするシロも、あきらに手当されながら「おこってる?おこってるじゃん」と言うシロも、美月先輩とのお出かけにドキドキしながらカフェで向かい合って話すシロも、浮ついた心で「紡ぎましょう紡ぎましょう〜!」言うシロも、沢山の人との関係に悩んで複雑な表情を見せる真とシロも………本当に全てが愛おしくて全てが美しかった。キャスティングして作り上げてくれた監督に感謝し、長尾担の皆様のことを羨ましくも思いました。(誰?) そして、この物語に出会わせてくれた長尾くんに心から感謝します。

この映画を撮っていたのは高校卒業後すぐで実際真やシロと年齢が近かったはずです。そんな長尾くんがこの物語をどのように見てどこに共感してどこに悩んで、どのように受け取ったのかがとても気になりました。

 

5. さいごに

●この物語から受け取ったもの

最後にわたしの素直な感想として、きっと当事者である子どもたちが、今リアルタイムであのシロの気づきまでにたどり着くことは正直なかなか難しいと思いました。難しいとは思いますがメッセージがセリフとして分かりやすく表現されている所もたくさんありますし、何かしらこれを観て「へ〜」って思って、「ま、そうか、人生所詮ホームステイか〜〜」と思えれば大きな気づきだと思います。大人になってからのこの物語との出会いも嬉しかったですが、更に贅沢を言うと私も高校生の時にこの物語に出会ってみたかったな〜。当時の私が観て「はあああ"〜〜ん!??!?」となったか、「そうか、そうか」となったか、真偽は分かりませんがどちらに転ぼうとも気づきには変わらないはず。この感覚ですら大人的感覚だなと思いますが、やっぱり今この物語を当事者として観れる子どもたちが少し羨ましくも思います。

大人である私が受け取ったメッセージは本当にたくさんで、素直に子どもの頃の私に見せたいと思いました。それすら大人になった自分から子どもの頃の自分へのエゴですが(笑) でも、この物語をそのように受け取れるようになってて、大人になったんやな〜と実感しました。(とっくに成人女性、ハイパ〜遅い)

前の自分も、今の自分も、明日の自分も、どんな自分も自分を創るための欠かせない自分なんですよね。自分だけはどんな自分も排除せず受け止めて生きていきたいです。どんな自分も自分で、全部の自分が重なり合って、全部の自分が本当の自分であること、忘れないでいます。自分を愛せて人を愛せる大人になれますように、なれていますように。

本当に素敵で大好きなセリフがたくさんでした。これからもずっとずっと忘れないでいたい。

 

「いいんですよ、それで 俺も本当の自分なんてわかんないです でも、赤だったり青だったり紫だったり、みんなそれぞれ持ってるのは一色じゃない ホッとしてる先輩も逃げ出したい先輩も、いろんな色が重なり合うから美月先輩なんだと思います 全部が本当の美月先輩なんです それに、死んだら死んだで結構めんどくさいですよ(笑)」(屋上のフェンスを越えようとする美月に話すシロのセリフ)

自分を愛せてみんなに愛されるアイドル

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西畑大吾さん、25歳のお誕生日おめでとうございます!今年はお祝いブログを書いてみました。題名がお誕生日っぽくないですね。ですのでもう一回念を押しておきます。これ、お誕生日祝いブログです!!誰が何を言おうと誕生日祝いブログです!!!!!180%自己満足なのは認めます(笑)

 

【もくじ】

1. 25歳のお誕生日おめでとう

2. おばあちゃんオタクより西畑大吾さんへ

 ①ごはんは美味しく食べてね

 ②心のおうちを作ってね

 ③ "受け止める" と "受け入れる" を上手に使い分けてね

 ④西畑大吾という一人の人間として "人間らしく" を求めてね

 ⑤毎日ただ笑って生きていてくれることがファンサだよ

3. さいごに

・自分を愛すということと人に愛されるということ

 

1. お誕生日おめでとう

改めまして、西畑大吾さん25歳のお誕生日おめでとうございます!

デビューして初めて迎えるお誕生日ですね。デビュー発表をした昨年の夏頃以降は初めてのことだらけで、本当に大変だったと思います。露出も一気に増えました。正直いま何の取材を受けているのか、どこに出す動画を撮影しているのか把握しきれず、よく分からなくなってしまうこともあったんじゃないかと思います。夏以降雑誌記事や動画の中で、時折7人がそのような風になっているのを見かけました。私たちの想像を遥かに絶する忙しさなのだと思います。

7人の頑張る姿や笑顔を見て元気をたくさん貰うとともに、時々心配になります。子どもの頃から大人の世界で生きる彼らをこんなただの一ファンが心配するまでもないとは思いますが、私の中のおばあちゃん人格(?)が孫たち(?)の健康を心配するあまり、毎日元気でいてねというお手紙のようなメッセージブログを書きました。大したことは何も書いていません。でもきっとみなさんも同じような気持ちで見守ってるんじゃないかなと思っています。

 

2.おばあちゃんオタクより西畑大吾さんへ

①ごはんは美味しく食べてね

ごはんは毎日美味しく食べれていますか?味わう余裕はありますか?食欲は落ちてませんか?当たり前のことですがごはんは人間が動く大事な活力です。ごはんが食べれなくなるとこれまで動いていたはずの身体からピースがすごいスピードで抜けていってグスグスになり、あっという間に崩れて動けなくなっちゃいますから。ピースが抜けていくのは簡単なのに、抜けていったピースを回収するのは大変だから身体のピースを落とさないようにしてくださいね。是非ごはんはひとつの娯楽だと思って楽しく美味しく食べてほしいです。ごはんをただのエネルギー補給として惰性で食べるようになると黄色信号ですよ。それはつまりごはんを美味しく味わう時間の余裕も心の余裕もないってことだから

私は丸顔の可愛らしいお顔の西畑さんも好きなので、糖質制限なんてせず食べたい分だけ食べたらいいよと思ってます。(笑) 糖質制限する分好きなチャンジャやお酒を楽しむ等、食べることへの楽しみのバランスが取れているといいなと思います。仲間や家族、大好きな友だちたちと美味しいごはんをたくさん食べれるように願ってますよ。

以前ラジオか雑誌かどこかで『眠るときは眠れるBGMみたいなのをかけてる』って話をしてました。(どこで出してたかは思い出せない)密かにそれも心配しています。忙しいから疲れて眠れるはずなのに眠れないのは、交感神経と副交感神経のバランスが崩れてきている印だと思うのです。きっと緊張状態が続いて身体が興奮状態のままリラックスモードに入れていないんですよね。BGMをかけても眠れなくなるときが来ないように、意識的に自分のリラックス法をたくさん作ってバランスを取ってくださいね。

 

②心のおうちを作ってね

アイドルのお仕事ではたくさんの人と触れながら様々な環境であらゆるお仕事をすると思います。毎日刺激がたくさんだと思いますが、いい刺激もあれば時には良くない刺激もありますよね。自分の意に反して理不尽に怒られることもあるだろうし、こちらの本意を伝えても伝えても間違えて解釈されて釈然としないこともあるだろうと思います。誰も悪くないし悩んでもどうしょうもないのは分かっていても、腑に落ちずやるせない思いをすることだってあるかもしれません。

そんな思いの解消の方法は人それぞれだと思います。美味しいものを食べる、たくさん眠る、人に聞いてもらって発散する、文章として表現して発散する、趣味に没頭する……。どんな方法でもいいと思います。心のおうちはあればあるだけ良いと思ってます。心のおうちは探さずとも気づけばできているものだと思うし、そうであることが理想ではあるけれど時間と心に余裕が失くなると心のおうちを持っているはずなのに、心のおうちの場所が分からなくなって見つけられなくなります。見つけられなくならないように自分の心のおうちを見つけて、どのような心身状態でもすぐ見つけられるようなるべく自分の中でそのおうちの存在を大きくしておけるといいですね。できればいろいろなおうちを見つけておいてください。本当にどうしょうもなくなった時には、その心のおうちが助けてくれると思います。本当にどうしょうもなくなった時に新たに気づく心のおうちもあると思います。ぜひ自分だけの心のおうちを大事にしてください。そして人の心のおうちも大事にしてあげてくださいね。

 

③ "受け止める" と "受け入れる" を使い分けてね

人は十人十色だから自分と全く同じ思考、感覚の人というのは居ません。世の中には本当にいろいろな人がいます。『みんな違ってみんな良い』とよく言いますね。ありきたりだけど本当にその通りで、みんな違うから面白くて、みんな違うから尊敬できて、みんな違うから尊重できて、みんな違うから好きになれるんですよ。でも十人十色だから考え方が大きく食い違うこともありますよね。人と人だから相性が合わないことだってあると思う。人の考えを食わず嫌いして受け止める前から跳ね除けてしまうのは勿体無いと感じてしまうけど、だからといってそれを必ず受け入れなければならないというのはまた別の話だと思います。

人の意見が自分の経験や思考の器に合わないからといって聞き入れもせず跳ね除けるのはなんだか悲しいと思ってしまいます。私は自分が考えもしなかった新たな観点からの意見は自分の概念や感覚の器を広げるチャンスだと考えています。その言葉を受け止めてなるべく言われたことを咀嚼して落とし込もうとする中で受け止める事ができても、どうしても受け入れる事ができないこともあります。だからといってそれを必ずしも受け入れなければならないとは思わなくていいと思っています。受け入れる事ができない理由は色々あるはずです。どうしても譲れない自分の倫理観に合わない、意味は理解できてもあまりにも現実的でなく達成するには極端に身を削る必要がある……。でもその自分の思いに目を伏せて、自分の心に嘘をついて受け入れたフリをすると後からものすごい反動が来てしまいますからね。自分の心に嘘をついて蓋をすると、自分でも驚くほどその思いは膨らんで蓋を押しのけて溢れ出しちゃうから気をつけて。

目上の人からの助言、新しい環境で得た意見は特に自分の経験が浅い故にこれから経験する中で徐々受け入れることができるかもしれないと思うこともありますよね。実際にそういうこともあるかもしれない。ただ、自分の心に嘘をついて蓋をする時間が伸びれば伸びるほど見えない歪が増えていってしまいます。自分の心を守るためには時には受け止めた結果、受け入れないという選択肢をすることも大切だと思います。すごい労力と勇気が要るけど、受け入れられないときにはそのまま受け入れるフリをするのではなく、誰かに聞くことが大事です。それでも受け入れられないときは、もう受け入れられません無理です。普通にそういうこともあります。(笑) だからといって放ったらかすのではなく、その考え方との付き合い方、折衷案の見つけ方を能動的に探せると良いですよね。ただ、自分の気持ちや感覚、信念を必要以上に曲げる必要はないことは絶対に忘れないようにしてほしいです。

先程自分と全く同じ思考、感覚の人というのはいないという話をしたけれど、思考や感覚が限りなく近い人というのはいると思います。限りなく近いと思える人に出会ったらとても貴重ですし、その人を人として好きだと思えるのなら好きだと伝えてその人を大事にしてくださいね。その出会いは大切にすればするだけあなたに返ってくると思います。見返りを求めるわけではありませんが、きっとその出会いがあなたを間接的に救ってくれることがあると思いますよ。

 

西畑大吾という一人の人間として "人間らしく" を求めてね

西畑大吾はアイドルである以前に一人の西畑大吾という人間です。アイドル西畑大吾の時間と、自分自身の時間をバランス良くうまく持ってくださいね。表舞台に出る人は自分自体が商品で、お仕事の休憩時間が極端に少ないと思います。一歩外に出ると人に見られることもあり、お仕事の時間でなくてもアイドルの西畑大吾として見られることも多いはずです。必然的にアイドル西畑大吾というお仕事を休憩できる時間も少なくなるので本当に大変だと思います。インドアになるのも分かります。その中でも落ち着ける環境、守ってくれる人的環境での時間を大切に、自分自身でいられる時間を楽しんでください。

 

⑤毎日ただ笑って生きていてくれることがファンサだよ

毎日心から笑えていますか?毎日小さな面白いことを見つけて楽しめていますか?ただ働いて、ただ毎日を生きるってとっても難しいことだと思います。アイドルというお仕事のため、尚の事難しいと思います。悩むことも悔しいこともうまく行かないことも寂しい思いをすることもあると思います。私たちには想像もできない大変さがたくさんたくさんあると思います。そんな中でも毎日心から笑える瞬間がありますか?

私は大好きなアイドルたちが澄まして写る写真より、可愛らしいポーズで写る写真より、何より顔を見合あわせながら端正な顔をくしゃくしゃにして大笑いする姿が好きです。(もちろんどんな顔も好きですけどね?) あの楽しそうな顔を見ると思わず一緒に笑ってしまうし、ひとしきり笑うと元気になれます。きっとみんなもそうだと思う。だからもしも心から笑えなくなったときにはちょっと足を止めて休んでくださいね。それは自分からの休んでねという特大サインだから。私にとってはただ笑って毎日生きてくれていることそのものが一番のファンサですからね。

 

3. さいごに

おばあちゃん人格は一旦収納します。(笑) 昨年はデビューの年ということで、多忙を極めた日々だったと思います。みんなみるみるうちに大人っぽくなり、顔つきが変わりました。みんなお顔も痩せましたね。大橋くんは食べる量は変わってないのになぜか体重が落ちると話していました。彼らの話や姿から本当に忙しいのだろうなと感じています。子どもの頃から大人の世界で生きる彼らをこんな未熟な私が心配するまでもないとは思います。わかってるよ!?!!わかってんだけど!!でも本当に本当に大好きだから……!!!勝手に祈っちゃうよね…………!!!!!!

・自分を愛すということと人に愛されるということ

自分を愛せる人って人を愛せる人になると思うし、人にも愛されると思うんです。自分を大切にできる人は人を大切にできるし、人に大切にされると思うんです。ちょっとこれ以外の言葉が見つからないし、うまく説明できないけど。

アイドルは、男性アイドルは、ジャニーズアイドルは他にもたくさんいる。

でも、西畑大吾は世界でたったひとりなの。

西畑大吾を一番大事にできるのは、西畑大吾を最後に守ることができるのは、西畑大吾自身でしかない。

だから、大吾くんが、" 西畑大吾 " を好きでいてほしいし、何より大切にしてほしい。

" アイドル西畑大吾 " を " 西畑大吾 " を大吾くん自身が一番愛してあげてね。

自分を愛せてみんなに愛されるアイドル、なにわ男子の未来が明るいことを祈っています。

26歳も祝うからね〜〜〜!!!(気が早い)

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彼らへ、永遠という負荷ではなく、永遠に続けばいいなという祈りを込めて。

2021.10.12 fri

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まずはなにわ男子、デビュー本ッッッ当におめでとうございます!!!!!!!

星の数ほどいる なにふぁむ のひとりとして、デビューを期にちょうど書きたかった内容を無理矢理ねじ込みながら、好き勝手におめでとうブログを書こうと思います。

ただそれだけです。(笑)

 

【もくじ】

 1. デビューおめでとう

 ・記事から見るみんなのこれまでとこれから

 ・西畑大吾とこれまでの話

 ・関ジュと"大人たち"について

 ・大橋和也とアイドルの話

 ・藤原丈一郎と身体と心の話

 2. 音楽は玉手箱

 3. 7人の"望む形"で"望む未来"を

 

1. デビューおめでとう

・記事から見るみんなのこれまでとこれから

7月28日を含むツアーが発表されて もしや…?と心躍らせ、ライブがある日にはなんとなくドキドキしながら過ごしたこの夏。

驚くスピードで増えていく露出を必死に追ううちに月日は経ち、気づけば今日は2021年11月12日、なにわ男子の1stシングル「初心LOVE」リリース日となりました。

彼らはデビューに至る今日まで、たくさん苦労してきたと思います。きっと一ファンが想像できるような並大抵の努力ではないはずです。ポロッとこぼす雑誌などの記事の端々に表れていますよね。その中でもここでは西畑大吾くんと大橋和也くんの言葉を取り上げながら、いろいろ好き勝手に書いていきたいと思います。

 

西畑大吾とこれまでの話

Q. 自分にとってのターニングポイントは?

A. ジャニーズWESTさんが抜けられて、平野紫耀と永瀬廉が東京に行ったタイミングでの松竹座の「少年たち」。残った自分たちは関西ジャニーズJr.を支えられるのかと不安で。でも幕が開いたら満員のお客様で安心感もあったし、これを継続させなければというプレッシャーもありました。ほんまに1公演1公演を死ぬ気でやっていて、正直「もう絶対この公演が終わったら逃げ出したろう」と思っていましたからね(笑)。当時4年目ぐらいでしたけど、急遽大人にならされた。仕事に対する覚悟みたいなのはそこで生まれたかもしれない。だけどその学びがあって今があると思っています。

with 2021年12月号 西畑大吾のインタビューより

このエピソードにこれまでの苦労や努力が詰まってますよね。様々な理由で入所した10代の子どもたちが揉まれて大人にならざるを得ないような世界で生きていくのは苦労が多かったと思います。AmazonプライムのNaturalの方でも、西畑さんが 努力は必ず実るとは限らないと思っている と話していました。これまで去っていった先輩、同期、後輩もみんな努力をしてたという旨の話、胸に刺さりましたよね。どんなに努力をしていても芽を出すには良くも悪くもタイミングや大人たちの采配の影響力が大きいと思います。努力を重ねても自分の意志と意欲だけではどうにもならないことがある、この環境下が関ジュたちが周りの人たちのことを"大人たち"という言葉で表現する所以にも思えます。

話し出すと長くなるので今回具体的なエピソードは割愛しますが、第一線を張り続けた人たちにはその人たちなりの苦労、入所後すぐに第一線に入った人たちなりの苦労、バックを支え続けた人たちなりの苦労…七者七様の苦労があったと思います。そりゃ、西畑くんに限らずそれぞれみんな「逃げ出したろう」くらいには思ったことあると思います。そう思うと、今ここになにわ男子があるのは本当に奇跡であり、必然であると思います。

 

・関ジュと"大人たち"について

余談ですが、関ジュたちって自分が大人になっても周りの人のことを"大人たち"って言うことが多いんですよね。これは本人たちの覚悟がないとか、まだ子どもの気分のままだとか、そういうような話ではないと思ってます。

おそらく理由の一つとしては、子どもの頃から物的人的環境が大きくは変わらず、大人になるからだと思います。私たちは学校を卒業して社会に出て仕事を始めると、周りの人的物的環境が大きく変わる等、分かりやすい変わり目がありますよね。それに対して子どもの頃に入所し、仕事をしながら子どもの頃からの仲間と共に大人になります。私たちが学生時代の友だちに会うと子どもの頃にすぐかえったような気持ちになれるように、彼らもきっとその感覚がずっと続いてるんですよね。

もう一つの理由としては、努力を重ねるだけではどうにもならないことがある世界で生きているからかと思っています。彼らの未来は何をどう頑張ってもタイミングと"大人たち"の采配等の影響が大きいです。それがいいとか悪いとかそのような話ではなくそういう世界ですし、それを分かって本人たちも仕事をしていると思います。彼らもそれなりにいい歳の大人になっていますが、それでも周りの大人を"大人たち"と表現してしまうのはこの環境下だからと勝手に推測しています。

早く大人にさせられるのに、いつまでも大人になりきれない。その環境が良いとか悪いとか、誰が良いとか悪いとかいう話ではないと思ってます。

デビューを機にまた彼らの願いがたくさん実現できるよう、これからも全力で応援していきたいと思います。

無駄に考えすぎですよね、私もそう思います。(笑)

 

大橋和也とアイドルの話

Q. かっこよくあるために意識していることや頑張りたいことは?

A. カッコいいなんて思えてないけれど(笑)、自分の「カッコいい」は、「なんでも楽しむ」っていうこと。カッコいいダンスも、可愛いダンスも、全部楽しむ。コンサートでも全て今を楽しんでいたいと思っています。もし、それがうまくいかない日があったら、マンガを読んだりゲームをしたりショッピングをしたりして、気分を変えます。

with 2021年12月号 大橋和也のインタビューより

大橋くんのアイドル観とか、人生観すごい好きなんです。大橋くんの笑顔癒やされますよね。シンプルに好きです。大橋くんの笑顔って何でこんなに惹き付けられるのだろう〜と常々思うのですが、それはきっと大橋くん自身、心から楽しんで笑ってるからなんですよね。人を笑顔にするには自分自身が心から楽しんで笑う必要があるということを改めてなにわ男子から学びました。仕事柄、本当に刺さります…。

宇宙中を幸せにしたい大橋くん。スーパーアイドルが夢の大橋くん。すでになにふぁむにとってなにわ男子はスーパーアイドルでありスーパーヒーローですよね。

なにわ男子が本当に心から楽しんで笑顔でいてくれる限り、なにわ男子は宇宙中を幸せにするスーパーアイドル、スーパーヒーローだと思います。

 

藤原丈一郎と身体と心の話

最近藤原さんが雑誌でデビューのこととか、デビューしてからその先のこととかを聞かれると "みんなそろって" とか "健康で" とかいう旨の話をするのが目立つようになった気がします。(その言葉を使っている記事を雑誌の山から探し出せず引用を諦めましたごめんなさい。)

デビューが決まっていよいよ忙しくなってきたんだな〜、デビューするから7人で歩む未来が具体的になってきたんだな〜というふうに喜ばしくなりました。と、共に今本当に忙しいからこの言葉が出てくるんだろうなと思います。人への「健康に気をつけてね」等の言葉って、他人を労う半分自分に言い聞かせてるみたいなところがあると思うんですよね。根拠がなさすぎる持論ですが。(笑)

本日二度目ですが、無駄に考えすぎですよね、私もそう思います。(笑)

これからもしんどいことも投げ出したくなることも、私たちが想像できないくらいたくさんあると思います。でもとにかくファンとしてはみんなが健康で笑ってくれれば、ただそれだけでいいんです!本当にただそれだけで120点満点のスーパーアイドルだと思ってます!それに尽きます!!デビューということで、いよいよメンバーは人生のパートナーになると思います。これからもみんなで心から笑って楽しめることをたくさん見つけてください。

7人ずっとちょうどいい距離感でなにわ男子らしく笑顔でいてくれることを心から願っています。

 

2. 音楽は玉手箱

"音楽は玉手箱" というのは私が勝手によく使う言葉です。音楽と共に生活していると、勝手に音楽と生活がリンクしていきますよね。学生時代によく聴いた音楽を久しぶりに聴くと、学生時代のことを玉手箱を開けたように鮮明に思い出したりしませんか?私だけでしょうか?(笑) そのような意味でよく "音楽は玉手箱" と勝手に言っています。

今回のデビュー曲「初心LOVE」も私の今ある状況や心身の状態と共に記憶されて、私の音楽の玉手箱になると思います。それは同じくなにわ男子にとってもそうなると思います。微力ながら全力で応援し、なにわ男子のデビューを盛り上げて、数年後彼らがこの玉手箱を開けたときに笑えるような玉手箱になるよう、一なにふぁむとして応援したいと思います。

私情も私情ですが、こんな今もいつか笑えますように!!!とここで願っておきます。(笑)

 

3. 7人の"望む形"で"望む未来"を

関ジュに出会ったのは2020年の春だったため、リアルタイムで追えたのはたったの1年半ちょっとです。追い始めてからのこの大変短い期間でもみるみる成長する7人。著しい成長を遂げ、きらきら笑う眩しい7人から目が離せませんでした。気づけば『彼らが望む未来が望む形で実現されますように』と心から願うようになりました。その後7月28日のライブで行われたサプライズデビュー発表で肩を組んで涙する7人を見て、7人の望む形での未来がまず一つ実現された瞬間だと実感しました。

これからもずっと7人で、7人が望む未来が望む形で実現されることを願って、全力で応援していきます!!!!!!!

 

 

 

彼らへ、永遠という負荷ではなく、永遠に続けばいいなという祈りを込めて。