きもち の きろく

彼らの眩しい煌めきを記録しておきたい

子どもと大人と生と死と

f:id:ni-yu:20220504204420j:image

楽しみにしていたHOMESTAY。最近のとなりのチカラにどハマりで長尾くんの演技が楽しみでしたし、予告で見たストーリーも面白そうで期待してました。どきどきワクワクしながらタップした2022年2月11日0:00。たくさん考えた1時間52分でした。いま感じた気持ちを残しておきたいと思ったのですが、ツイートするには量が多くなりそうなので残しておきたい個人的感想のみを並べて簡単なはてブにします。

【下記、今回の言い訳】

まとめてみて改めて気づきましたが、私自身いい歳した大人の割には比較的子ども的な感覚でも物語を観てたと思います。(おい、成人女性)  子どもは子ども、大人は大人ではなく、母親だって父親だって人は平等にみんな人やん、と言われると まあせやんな…… と思います。が、今回はあくまで "真、シロはまだ経験の浅い子ども"、"周りの大人たちは何十年と広い社会で生きて経験をしている大人" として捉えた上での感想を書きました。

という言い訳をしてからはじめます。

 

【もくじ】

1. 環境と感覚

●悲観的なわけじゃない現実的なだけだ

●生物学的生命と社会的生命

●同調と個性と学校社会

2.「死にたい」は、生きたいの叫びなんだ。

●死ぬ瞬間と誕生日

●"死"という形の生

3. 愛とエゴ

4. 大人的感覚と子ども的感覚

●第三者と当事者の物語の見方

●この物語と長尾くん

5. さいごに

●この物語から受け取ったもの

 

 

1.環境と感覚

●悲観的なわけじゃない現実的なだけだ

「僕ははじめから誰の目にも写っていなかったんだ 母親の目にさえも」(真が観た車内の母の姿の記憶と、いまシロが目の前で見ている他人の家族といる母の姿がリンクした時に発せられるシロの心情のナレーション)

「みんなが真を殺した みつるに母親、父親、美月 真に気づいてやれなかった全員がまことを自殺に追い込んだんだ」(母の姿を見たあと、雨の中の夜の橋でクイズに答えるセリフ)

「あんたはいいよ他人の家族に逃げれたんだから 真に逃げ場なんてなかった 死ぬしかなかったんだよ 絵なんか飾らなくていい ちゃんと向き合ってやれよ 真はもう死んだんだ」(帰宅しないシロを探しに来た母を突き飛ばして言うセリフ)

上記のセリフたちは第三者ではない当事者であるシロ、真の苦しい心からの叫びでした。

僕は悲観的なわけじゃない 現実的なだけだ 僕がいなくなっても その場所を埋める必要はない 今だってみんなにとっては初めから空白なんだから 笑ったり泣いたり怒ったり喜んだりこうしてる間にもみんなの日常はまわっている 矛盾しているかもしれない けれどこの瞬間に僕は思う 僕が死ぬことで誰かが僕に気づいてくれればいい」(真が書いた遺書の文章)

真は 僕は悲観的なわけじゃない 現実的なだけだ と表現しています。これがまた真の苦しみ全てを表現していますよね。真としては自分は悲観的に、感情的になっているわけではない、現実的に自分の置かれている "事実" を真なりに見つめた結果の選択だということです。

 

●生物学的生命と社会的生命

生物学的生命と社会的生命、これは分かりやすくまとめる為に先程思いついた造語です。(造語かい)(息の根が止まり、生物学的に死を迎えるという意味での生物学的生命、息はしているが、社会的に立場、存在意義を喪失して社会的に死を迎えると当事者が認識するという意味での社会的生命という2種の生命があるとします。とりあえず。造語です。)

自分という存在は自分で作るものだと思います。人間というものは人的、物的環境により消えたり現れたりするのもではなく、生物学的生命が続く限りそこに存在し続けます。しかし、自分という存在をはかる物差しは本人の心情の揺れなどにより、時には絶対的なものではなく相対的なものであったり、取り巻く環境により自分の存在というものが意図せず変化させられるように感じたりしてしまいます。本来は父親が海外出張でなかなか家庭に戻らなくても、母親が他人の家族と仲良しごっこをしていても、好きな女の子に好きな女の子がいても、真は真です。事実はそうであり、当たり前のことではありますが人には感情があり、更に人は一人では生きられず常に周りの人との関わりが生きることにおいて大きいため、そうはいきません。自分の想像や期待とは違うことが起きたときに困惑するのも分かります。

真にとって母親と父親がいて自分という存在が産まれ、兄や友だちがいて自分という存在があります。そうだと思っていたはずなのに想像や期待と現実は違っていて、それに気づいてからは自分の存在意義や居場所を探したと思います。社会的生命の危機を感じたはずです。真なりに周りと自分の関係性を現実的に見て、急に自分という存在が宙ぶらりんになったような気持ちを感じたんだと思います。

 

同調と個性と学校社会

世の中は少しずつ多様性というものを重視し始め、個人の人権を尊重する方向に傾いています。しかし、まだまだ学校社会のシステムは昔ながらの軍隊式の面が多いです。(一人で数十人の子どもたちをまとめて安全に過ごすためにはこの方式が簡単なんだと思います。システムを変えたくても、そこまでには国としての制度変更なども必要なため簡単な話ではないはずです。この辺りの話を深堀すると長くなるので割愛します) 学校(幼稚園、保育園、人によって違いますが…)は子どもたちがはじめて出る社会です。社会で生きる中では様々な壁にぶつかります。当たり前にみんなそれぞれ生きてきた背景が違うので思想が1から100までマッチすることは限りなくゼロに近いです。人との関わりで時には同調を求められることがあったり、角を立てないように自ら同調を選択することもあります。周りとの関係を気にして同調を求める世の中とそれと同時に個性も求められる矛盾。今回の真と美月関係、美月と美月の好きな女の子の関係等、随所に本音と同調と個性の問題が出てきました。

上記で学校は子どもたちが初めて出る社会と表現しました。学校は社会の縮図であり、また環境が狭いため逃げ場が少なく、思考も閉鎖的になったり極端になったりと偏りがちになるのは当たり前です。また、真もこの世に生まれてたった十数年であり、経験も浅いです。そんな真と大人の感覚が違うのも当たり前だと思います。真が生きる社会は大人の生きる社会より狭く、真の感覚や思考は大人の感覚や思考より一面的なのも当たり前です。よって、大人から見た"現実的、悲観的"と本人の"現実的、悲観的"が食い違うのも当たり前ですよね。それを理解できている大人が真の近くにいれば、さらに「理解しているよ、分かってるんだよ」ということが真にも分かるように表現できる大人が近くにいれば、真の人生はまた別物だったろうと思います。

 

2.「死にたい」は、生きたいの叫びなんだ。

●死ぬ瞬間と誕生日

「死にたい」は、生きたいの叫びなんだ。

これはこの物語のキャッチコピーになっており、長尾くんも日刊で「良い言葉ですね」と話していました。このキャッチコピーはまさに物語全体を表したものだと思いますが、あるシーンでよりこのキャッチコピーを強く思い出しました。

「俺は俺を殺した 俺が真だ」に繋がる砂時計が落ちきる直前のシーン。死を目前とした瞬間にケーキのろうそくを吹き消すシーンが流れました。死ぬ目前なのに誕生日という年齢を重ねる瞬間が思い出される描写が惨かったです。あのシーンはシンプルに死に際に見えた楽しい思い出の走馬灯だろうし、シロが自分自身が真だと思い出したから蘇った記憶でもあると思います。ただ、そのシーンの冒頭がストーリーに出てきたキャンプの様子などではなく、ある年の誕生日の描写でした。死と生は真逆のはずなのに、あの死の瞬間に生を感じさせるような歳を重ねるという誕生日の瞬間の記憶が蘇ったシロ。シロは死を感じたあの瞬間、一番強く生を感じたのだろうと思います。

 

●"死"という形の生

「僕が死ぬことで誰かが僕に気づいてくれればいい」と遺書に書いて死んだ真。ずっとずっと "本当の意味で" この世を生き続けたかったはずの真。一番強く生に執着していたはずです。だからこそ死ぬことで誰かに気づいてもらおうとし、生と真逆とも思える死という形で生を取ってしまったんだと思います。死ぬという形で誰かの中で生き続けることを選んだ真は死の瞬間、何を見たのでしょうか。

 

3. 愛とエゴ

【愛】とは

①親兄弟のいつくしみ合う心。広く、人間や生物への思いやり。万葉集5「―は子に過ぎたりといふこと無し」 ②男女間の、相手を慕う情。恋。 ③かわいがること。大切にすること。御伽草子、七草草子「己より幼きをばいとほしみ、―をなし」 ④このむこと。めでること。醒睡笑「慈照院殿、―に思し召さるる壺あり」 ⑤愛敬あいきょう。愛想あいそ。好色二代男「まねけばうなづく、笑へば―をなし」 ⑥〔仏〕愛欲。愛着あいじゃく。渇愛。強い欲望。十二因縁では第8支に位置づけられ、迷いの根源として否定的にみられる。今昔物語集2「その形、端正なるを見て、忽ちに―の心をおこして妻めとせんと思ひて」 ⑦キリスト教で、神が、自らを犠牲にして、人間をあまねく限りなくいつくしむこと。→アガペー1。 ⑧愛蘭アイルランドの略。

(広辞苑より)

【エゴイスティック】とは

利己的。利己主義的。自分本位。

(広辞苑より)

「今だからわかることもあるだろう お前はまだわかんねえのか 黙ったまんまで察してくれなんて甘ったれんな 美大に行きたいんだったらお前もちゃんと父さんと向き合えよ 言葉にしなきゃ何も伝わらねえんだ」

「それはあんただって」

「そうだよ、だから今こうやって話している 地味で暗くて自信も社交性もない 毎日俺の後ばっか付け回して転んでは泣いて目が離せない必要以上に世話の焼ける弟がある日突然居なくなってそのままいられるとおもうか? 目の前で死んでいくのを見て平気だと思うか? 誰の目にもうつってない? お前の目には何が見えてたんだ ふざけんな」(シロと母親が事故に合い病院で目が覚めた後、母親の様態を見に行ったシロと兄のやり取りのセリフ)

兄なりの不器用な表現ではありますが、誰かはあなたを見ていて誰かには愛されていることに気づいてというメッセージだと私は思いました。これはシロが真の死の理由に気づく大事なセリフの一つだったと思います。しかし、思いやりや愛というものは形としては見えづらく、時にはエゴだと感じられるものもあると思います。私は伝える側が思いやりや愛だと思っていてもそれが受け取る側がエゴだと認識した時点で残念ながらそれはエゴになってしまうと解釈しています。シロ、真の主観で描かれているからとはいえ、正直あの環境下で周りの気持ちを真っ直ぐありのまま受け入れられるでしょうか…?真やシロの考えがああなるのも無理ないように思います。『●同調と個性と学校社会』でも書いたように、子どもの環境や感覚を鑑みて大人が寄り添い、受け取る側に配慮した表現の仕方を行う必要もあったのでは?と感じてしまいます。

 

4. 大人的感覚と子ども的感覚

●第三者と当事者の物語の見方

このストーリー、大人が観るか子どもが観るかで随分受け取り方が変わってくるような気がします。というのも、三者として観るか、当事者として観るかという違いです。私自身はそこも面白い点だなと思いながら観ていました。自分の中のわだかまりがある程度払拭できた後、大人になってこの物語を見れば、高校生のシロや真に感情移入しつつも第三者目線で観れると思います。

私の感覚としてはこの物語は大人が見て、それぞれ自分の人生を咀嚼できる、大人的感覚のものという風に感じました。(それが良いだとか悪いだとか、好きだとか嫌いだとか言う話ではなく) 悩みごと等の大小に限らず(そもそも第三者が大小付けれるものではないが)もし真のような当事者である子どもが観ると恐らく周りからの愛に気づいて、俺が俺を殺したというような表現は間接的であれ、なかなか衝撃的な気がします。あくまでこれは私の受け取り方であり、『●同調と個性と学校社会』で書いたように、それぞれ生きてきた背景が違うので思想が1から100までマッチすることは限りなくゼロに近いため、受け取り方は十人十色です。愛とエゴのように改めて自分から発信する表現と受け取る側の解釈の難しさを感じました。

 

●この物語と長尾くん

ここに来てやっと長尾くんの話をしますが、長尾くんハチャメチャに良かったですね、マジで。何度も映像の美しさと、長尾くんのセリフまわしや目線の動きの繊細さに心奪われました。2度ほど通してみて、それ以降は好きなシーンを巻き戻しながら堪能しました(笑)

シロとしてホームステイを始めて真の家族の顔色を伺いながら頷くシロも、デート服を探すのに生き生きするシロも、あきらに手当されながら「おこってる?おこってるじゃん」と言うシロも、美月先輩とのお出かけにドキドキしながらカフェで向かい合って話すシロも、浮ついた心で「紡ぎましょう紡ぎましょう〜!」言うシロも、沢山の人との関係に悩んで複雑な表情を見せる真とシロも………本当に全てが愛おしくて全てが美しかった。キャスティングして作り上げてくれた監督に感謝し、長尾担の皆様のことを羨ましくも思いました。(誰?) そして、この物語に出会わせてくれた長尾くんに心から感謝します。

この映画を撮っていたのは高校卒業後すぐで実際真やシロと年齢が近かったはずです。そんな長尾くんがこの物語をどのように見てどこに共感してどこに悩んで、どのように受け取ったのかがとても気になりました。

 

5. さいごに

●この物語から受け取ったもの

最後にわたしの素直な感想として、きっと当事者である子どもたちが、今リアルタイムであのシロの気づきまでにたどり着くことは正直なかなか難しいと思いました。難しいとは思いますがメッセージがセリフとして分かりやすく表現されている所もたくさんありますし、何かしらこれを観て「へ〜」って思って、「ま、そうか、人生所詮ホームステイか〜〜」と思えれば大きな気づきだと思います。大人になってからのこの物語との出会いも嬉しかったですが、更に贅沢を言うと私も高校生の時にこの物語に出会ってみたかったな〜。当時の私が観て「はあああ"〜〜ん!??!?」となったか、「そうか、そうか」となったか、真偽は分かりませんがどちらに転ぼうとも気づきには変わらないはず。この感覚ですら大人的感覚だなと思いますが、やっぱり今この物語を当事者として観れる子どもたちが少し羨ましくも思います。

大人である私が受け取ったメッセージは本当にたくさんで、素直に子どもの頃の私に見せたいと思いました。それすら大人になった自分から子どもの頃の自分へのエゴですが(笑) でも、この物語をそのように受け取れるようになってて、大人になったんやな〜と実感しました。(とっくに成人女性、ハイパ〜遅い)

前の自分も、今の自分も、明日の自分も、どんな自分も自分を創るための欠かせない自分なんですよね。自分だけはどんな自分も排除せず受け止めて生きていきたいです。どんな自分も自分で、全部の自分が重なり合って、全部の自分が本当の自分であること、忘れないでいます。自分を愛せて人を愛せる大人になれますように、なれていますように。

本当に素敵で大好きなセリフがたくさんでした。これからもずっとずっと忘れないでいたい。

 

「いいんですよ、それで 俺も本当の自分なんてわかんないです でも、赤だったり青だったり紫だったり、みんなそれぞれ持ってるのは一色じゃない ホッとしてる先輩も逃げ出したい先輩も、いろんな色が重なり合うから美月先輩なんだと思います 全部が本当の美月先輩なんです それに、死んだら死んだで結構めんどくさいですよ(笑)」(屋上のフェンスを越えようとする美月に話すシロのセリフ)

自分を愛せてみんなに愛されるアイドル

f:id:ni-yu:20220109001445j:image

西畑大吾さん、25歳のお誕生日おめでとうございます!今年はお祝いブログを書いてみました。題名がお誕生日っぽくないですね。ですのでもう一回念を押しておきます。これ、お誕生日祝いブログです!!誰が何を言おうと誕生日祝いブログです!!!!!180%自己満足なのは認めます(笑)

 

【もくじ】

1. 25歳のお誕生日おめでとう

2. おばあちゃんオタクより西畑大吾さんへ

 ①ごはんは美味しく食べてね

 ②心のおうちを作ってね

 ③ "受け止める" と "受け入れる" を上手に使い分けてね

 ④西畑大吾という一人の人間として "人間らしく" を求めてね

 ⑤毎日ただ笑って生きていてくれることがファンサだよ

3. さいごに

・自分を愛すということと人に愛されるということ

 

1. お誕生日おめでとう

改めまして、西畑大吾さん25歳のお誕生日おめでとうございます!

デビューして初めて迎えるお誕生日ですね。デビュー発表をした昨年の夏頃以降は初めてのことだらけで、本当に大変だったと思います。露出も一気に増えました。正直いま何の取材を受けているのか、どこに出す動画を撮影しているのか把握しきれず、よく分からなくなってしまうこともあったんじゃないかと思います。夏以降雑誌記事や動画の中で、時折7人がそのような風になっているのを見かけました。私たちの想像を遥かに絶する忙しさなのだと思います。

7人の頑張る姿や笑顔を見て元気をたくさん貰うとともに、時々心配になります。子どもの頃から大人の世界で生きる彼らをこんなただの一ファンが心配するまでもないとは思いますが、私の中のおばあちゃん人格(?)が孫たち(?)の健康を心配するあまり、毎日元気でいてねというお手紙のようなメッセージブログを書きました。大したことは何も書いていません。でもきっとみなさんも同じような気持ちで見守ってるんじゃないかなと思っています。

 

2.おばあちゃんオタクより西畑大吾さんへ

①ごはんは美味しく食べてね

ごはんは毎日美味しく食べれていますか?味わう余裕はありますか?食欲は落ちてませんか?当たり前のことですがごはんは人間が動く大事な活力です。ごはんが食べれなくなるとこれまで動いていたはずの身体からピースがすごいスピードで抜けていってグスグスになり、あっという間に崩れて動けなくなっちゃいますから。ピースが抜けていくのは簡単なのに、抜けていったピースを回収するのは大変だから身体のピースを落とさないようにしてくださいね。是非ごはんはひとつの娯楽だと思って楽しく美味しく食べてほしいです。ごはんをただのエネルギー補給として惰性で食べるようになると黄色信号ですよ。それはつまりごはんを美味しく味わう時間の余裕も心の余裕もないってことだから

私は丸顔の可愛らしいお顔の西畑さんも好きなので、糖質制限なんてせず食べたい分だけ食べたらいいよと思ってます。(笑) 糖質制限する分好きなチャンジャやお酒を楽しむ等、食べることへの楽しみのバランスが取れているといいなと思います。仲間や家族、大好きな友だちたちと美味しいごはんをたくさん食べれるように願ってますよ。

以前ラジオか雑誌かどこかで『眠るときは眠れるBGMみたいなのをかけてる』って話をしてました。(どこで出してたかは思い出せない)密かにそれも心配しています。忙しいから疲れて眠れるはずなのに眠れないのは、交感神経と副交感神経のバランスが崩れてきている印だと思うのです。きっと緊張状態が続いて身体が興奮状態のままリラックスモードに入れていないんですよね。BGMをかけても眠れなくなるときが来ないように、意識的に自分のリラックス法をたくさん作ってバランスを取ってくださいね。

 

②心のおうちを作ってね

アイドルのお仕事ではたくさんの人と触れながら様々な環境であらゆるお仕事をすると思います。毎日刺激がたくさんだと思いますが、いい刺激もあれば時には良くない刺激もありますよね。自分の意に反して理不尽に怒られることもあるだろうし、こちらの本意を伝えても伝えても間違えて解釈されて釈然としないこともあるだろうと思います。誰も悪くないし悩んでもどうしょうもないのは分かっていても、腑に落ちずやるせない思いをすることだってあるかもしれません。

そんな思いの解消の方法は人それぞれだと思います。美味しいものを食べる、たくさん眠る、人に聞いてもらって発散する、文章として表現して発散する、趣味に没頭する……。どんな方法でもいいと思います。心のおうちはあればあるだけ良いと思ってます。心のおうちは探さずとも気づけばできているものだと思うし、そうであることが理想ではあるけれど時間と心に余裕が失くなると心のおうちを持っているはずなのに、心のおうちの場所が分からなくなって見つけられなくなります。見つけられなくならないように自分の心のおうちを見つけて、どのような心身状態でもすぐ見つけられるようなるべく自分の中でそのおうちの存在を大きくしておけるといいですね。できればいろいろなおうちを見つけておいてください。本当にどうしょうもなくなった時には、その心のおうちが助けてくれると思います。本当にどうしょうもなくなった時に新たに気づく心のおうちもあると思います。ぜひ自分だけの心のおうちを大事にしてください。そして人の心のおうちも大事にしてあげてくださいね。

 

③ "受け止める" と "受け入れる" を使い分けてね

人は十人十色だから自分と全く同じ思考、感覚の人というのは居ません。世の中には本当にいろいろな人がいます。『みんな違ってみんな良い』とよく言いますね。ありきたりだけど本当にその通りで、みんな違うから面白くて、みんな違うから尊敬できて、みんな違うから尊重できて、みんな違うから好きになれるんですよ。でも十人十色だから考え方が大きく食い違うこともありますよね。人と人だから相性が合わないことだってあると思う。人の考えを食わず嫌いして受け止める前から跳ね除けてしまうのは勿体無いと感じてしまうけど、だからといってそれを必ず受け入れなければならないというのはまた別の話だと思います。

人の意見が自分の経験や思考の器に合わないからといって聞き入れもせず跳ね除けるのはなんだか悲しいと思ってしまいます。私は自分が考えもしなかった新たな観点からの意見は自分の概念や感覚の器を広げるチャンスだと考えています。その言葉を受け止めてなるべく言われたことを咀嚼して落とし込もうとする中で受け止める事ができても、どうしても受け入れる事ができないこともあります。だからといってそれを必ずしも受け入れなければならないとは思わなくていいと思っています。受け入れる事ができない理由は色々あるはずです。どうしても譲れない自分の倫理観に合わない、意味は理解できてもあまりにも現実的でなく達成するには極端に身を削る必要がある……。でもその自分の思いに目を伏せて、自分の心に嘘をついて受け入れたフリをすると後からものすごい反動が来てしまいますからね。自分の心に嘘をついて蓋をすると、自分でも驚くほどその思いは膨らんで蓋を押しのけて溢れ出しちゃうから気をつけて。

目上の人からの助言、新しい環境で得た意見は特に自分の経験が浅い故にこれから経験する中で徐々受け入れることができるかもしれないと思うこともありますよね。実際にそういうこともあるかもしれない。ただ、自分の心に嘘をついて蓋をする時間が伸びれば伸びるほど見えない歪が増えていってしまいます。自分の心を守るためには時には受け止めた結果、受け入れないという選択肢をすることも大切だと思います。すごい労力と勇気が要るけど、受け入れられないときにはそのまま受け入れるフリをするのではなく、誰かに聞くことが大事です。それでも受け入れられないときは、もう受け入れられません無理です。普通にそういうこともあります。(笑) だからといって放ったらかすのではなく、その考え方との付き合い方、折衷案の見つけ方を能動的に探せると良いですよね。ただ、自分の気持ちや感覚、信念を必要以上に曲げる必要はないことは絶対に忘れないようにしてほしいです。

先程自分と全く同じ思考、感覚の人というのはいないという話をしたけれど、思考や感覚が限りなく近い人というのはいると思います。限りなく近いと思える人に出会ったらとても貴重ですし、その人を人として好きだと思えるのなら好きだと伝えてその人を大事にしてくださいね。その出会いは大切にすればするだけあなたに返ってくると思います。見返りを求めるわけではありませんが、きっとその出会いがあなたを間接的に救ってくれることがあると思いますよ。

 

西畑大吾という一人の人間として "人間らしく" を求めてね

西畑大吾はアイドルである以前に一人の西畑大吾という人間です。アイドル西畑大吾の時間と、自分自身の時間をバランス良くうまく持ってくださいね。表舞台に出る人は自分自体が商品で、お仕事の休憩時間が極端に少ないと思います。一歩外に出ると人に見られることもあり、お仕事の時間でなくてもアイドルの西畑大吾として見られることも多いはずです。必然的にアイドル西畑大吾というお仕事を休憩できる時間も少なくなるので本当に大変だと思います。インドアになるのも分かります。その中でも落ち着ける環境、守ってくれる人的環境での時間を大切に、自分自身でいられる時間を楽しんでください。

 

⑤毎日ただ笑って生きていてくれることがファンサだよ

毎日心から笑えていますか?毎日小さな面白いことを見つけて楽しめていますか?ただ働いて、ただ毎日を生きるってとっても難しいことだと思います。アイドルというお仕事のため、尚の事難しいと思います。悩むことも悔しいこともうまく行かないことも寂しい思いをすることもあると思います。私たちには想像もできない大変さがたくさんたくさんあると思います。そんな中でも毎日心から笑える瞬間がありますか?

私は大好きなアイドルたちが澄まして写る写真より、可愛らしいポーズで写る写真より、何より顔を見合あわせながら端正な顔をくしゃくしゃにして大笑いする姿が好きです。(もちろんどんな顔も好きですけどね?) あの楽しそうな顔を見ると思わず一緒に笑ってしまうし、ひとしきり笑うと元気になれます。きっとみんなもそうだと思う。だからもしも心から笑えなくなったときにはちょっと足を止めて休んでくださいね。それは自分からの休んでねという特大サインだから。私にとってはただ笑って毎日生きてくれていることそのものが一番のファンサですからね。

 

3. さいごに

おばあちゃん人格は一旦収納します。(笑) 昨年はデビューの年ということで、多忙を極めた日々だったと思います。みんなみるみるうちに大人っぽくなり、顔つきが変わりました。みんなお顔も痩せましたね。大橋くんは食べる量は変わってないのになぜか体重が落ちると話していました。彼らの話や姿から本当に忙しいのだろうなと感じています。子どもの頃から大人の世界で生きる彼らをこんな未熟な私が心配するまでもないとは思います。わかってるよ!?!!わかってんだけど!!でも本当に本当に大好きだから……!!!勝手に祈っちゃうよね…………!!!!!!

・自分を愛すということと人に愛されるということ

自分を愛せる人って人を愛せる人になると思うし、人にも愛されると思うんです。自分を大切にできる人は人を大切にできるし、人に大切にされると思うんです。ちょっとこれ以外の言葉が見つからないし、うまく説明できないけど。

アイドルは、男性アイドルは、ジャニーズアイドルは他にもたくさんいる。

でも、西畑大吾は世界でたったひとりなの。

西畑大吾を一番大事にできるのは、西畑大吾を最後に守ることができるのは、西畑大吾自身でしかない。

だから、大吾くんが、" 西畑大吾 " を好きでいてほしいし、何より大切にしてほしい。

" アイドル西畑大吾 " を " 西畑大吾 " を大吾くん自身が一番愛してあげてね。

自分を愛せてみんなに愛されるアイドル、なにわ男子の未来が明るいことを祈っています。

26歳も祝うからね〜〜〜!!!(気が早い)

f:id:ni-yu:20220109001508j:image

彼らへ、永遠という負荷ではなく、永遠に続けばいいなという祈りを込めて。

2021.10.12 fri

f:id:ni-yu:20211111161814j:image

まずはなにわ男子、デビュー本ッッッ当におめでとうございます!!!!!!!

星の数ほどいる なにふぁむ のひとりとして、デビューを期にちょうど書きたかった内容を無理矢理ねじ込みながら、好き勝手におめでとうブログを書こうと思います。

ただそれだけです。(笑)

 

【もくじ】

 1. デビューおめでとう

 ・記事から見るみんなのこれまでとこれから

 ・西畑大吾とこれまでの話

 ・関ジュと"大人たち"について

 ・大橋和也とアイドルの話

 ・藤原丈一郎と身体と心の話

 2. 音楽は玉手箱

 3. 7人の"望む形"で"望む未来"を

 

1. デビューおめでとう

・記事から見るみんなのこれまでとこれから

7月28日を含むツアーが発表されて もしや…?と心躍らせ、ライブがある日にはなんとなくドキドキしながら過ごしたこの夏。

驚くスピードで増えていく露出を必死に追ううちに月日は経ち、気づけば今日は2021年11月12日、なにわ男子の1stシングル「初心LOVE」リリース日となりました。

彼らはデビューに至る今日まで、たくさん苦労してきたと思います。きっと一ファンが想像できるような並大抵の努力ではないはずです。ポロッとこぼす雑誌などの記事の端々に表れていますよね。その中でもここでは西畑大吾くんと大橋和也くんの言葉を取り上げながら、いろいろ好き勝手に書いていきたいと思います。

 

西畑大吾とこれまでの話

Q. 自分にとってのターニングポイントは?

A. ジャニーズWESTさんが抜けられて、平野紫耀と永瀬廉が東京に行ったタイミングでの松竹座の「少年たち」。残った自分たちは関西ジャニーズJr.を支えられるのかと不安で。でも幕が開いたら満員のお客様で安心感もあったし、これを継続させなければというプレッシャーもありました。ほんまに1公演1公演を死ぬ気でやっていて、正直「もう絶対この公演が終わったら逃げ出したろう」と思っていましたからね(笑)。当時4年目ぐらいでしたけど、急遽大人にならされた。仕事に対する覚悟みたいなのはそこで生まれたかもしれない。だけどその学びがあって今があると思っています。

with 2021年12月号 西畑大吾のインタビューより

このエピソードにこれまでの苦労や努力が詰まってますよね。様々な理由で入所した10代の子どもたちが揉まれて大人にならざるを得ないような世界で生きていくのは苦労が多かったと思います。AmazonプライムのNaturalの方でも、西畑さんが 努力は必ず実るとは限らないと思っている と話していました。これまで去っていった先輩、同期、後輩もみんな努力をしてたという旨の話、胸に刺さりましたよね。どんなに努力をしていても芽を出すには良くも悪くもタイミングや大人たちの采配の影響力が大きいと思います。努力を重ねても自分の意志と意欲だけではどうにもならないことがある、この環境下が関ジュたちが周りの人たちのことを"大人たち"という言葉で表現する所以にも思えます。

話し出すと長くなるので今回具体的なエピソードは割愛しますが、第一線を張り続けた人たちにはその人たちなりの苦労、入所後すぐに第一線に入った人たちなりの苦労、バックを支え続けた人たちなりの苦労…七者七様の苦労があったと思います。そりゃ、西畑くんに限らずそれぞれみんな「逃げ出したろう」くらいには思ったことあると思います。そう思うと、今ここになにわ男子があるのは本当に奇跡であり、必然であると思います。

 

・関ジュと"大人たち"について

余談ですが、関ジュたちって自分が大人になっても周りの人のことを"大人たち"って言うことが多いんですよね。これは本人たちの覚悟がないとか、まだ子どもの気分のままだとか、そういうような話ではないと思ってます。

おそらく理由の一つとしては、子どもの頃から物的人的環境が大きくは変わらず、大人になるからだと思います。私たちは学校を卒業して社会に出て仕事を始めると、周りの人的物的環境が大きく変わる等、分かりやすい変わり目がありますよね。それに対して子どもの頃に入所し、仕事をしながら子どもの頃からの仲間と共に大人になります。私たちが学生時代の友だちに会うと子どもの頃にすぐかえったような気持ちになれるように、彼らもきっとその感覚がずっと続いてるんですよね。

もう一つの理由としては、努力を重ねるだけではどうにもならないことがある世界で生きているからかと思っています。彼らの未来は何をどう頑張ってもタイミングと"大人たち"の采配等の影響が大きいです。それがいいとか悪いとかそのような話ではなくそういう世界ですし、それを分かって本人たちも仕事をしていると思います。彼らもそれなりにいい歳の大人になっていますが、それでも周りの大人を"大人たち"と表現してしまうのはこの環境下だからと勝手に推測しています。

早く大人にさせられるのに、いつまでも大人になりきれない。その環境が良いとか悪いとか、誰が良いとか悪いとかいう話ではないと思ってます。

デビューを機にまた彼らの願いがたくさん実現できるよう、これからも全力で応援していきたいと思います。

無駄に考えすぎですよね、私もそう思います。(笑)

 

大橋和也とアイドルの話

Q. かっこよくあるために意識していることや頑張りたいことは?

A. カッコいいなんて思えてないけれど(笑)、自分の「カッコいい」は、「なんでも楽しむ」っていうこと。カッコいいダンスも、可愛いダンスも、全部楽しむ。コンサートでも全て今を楽しんでいたいと思っています。もし、それがうまくいかない日があったら、マンガを読んだりゲームをしたりショッピングをしたりして、気分を変えます。

with 2021年12月号 大橋和也のインタビューより

大橋くんのアイドル観とか、人生観すごい好きなんです。大橋くんの笑顔癒やされますよね。シンプルに好きです。大橋くんの笑顔って何でこんなに惹き付けられるのだろう〜と常々思うのですが、それはきっと大橋くん自身、心から楽しんで笑ってるからなんですよね。人を笑顔にするには自分自身が心から楽しんで笑う必要があるということを改めてなにわ男子から学びました。仕事柄、本当に刺さります…。

宇宙中を幸せにしたい大橋くん。スーパーアイドルが夢の大橋くん。すでになにふぁむにとってなにわ男子はスーパーアイドルでありスーパーヒーローですよね。

なにわ男子が本当に心から楽しんで笑顔でいてくれる限り、なにわ男子は宇宙中を幸せにするスーパーアイドル、スーパーヒーローだと思います。

 

藤原丈一郎と身体と心の話

最近藤原さんが雑誌でデビューのこととか、デビューしてからその先のこととかを聞かれると "みんなそろって" とか "健康で" とかいう旨の話をするのが目立つようになった気がします。(その言葉を使っている記事を雑誌の山から探し出せず引用を諦めましたごめんなさい。)

デビューが決まっていよいよ忙しくなってきたんだな〜、デビューするから7人で歩む未来が具体的になってきたんだな〜というふうに喜ばしくなりました。と、共に今本当に忙しいからこの言葉が出てくるんだろうなと思います。人への「健康に気をつけてね」等の言葉って、他人を労う半分自分に言い聞かせてるみたいなところがあると思うんですよね。根拠がなさすぎる持論ですが。(笑)

本日二度目ですが、無駄に考えすぎですよね、私もそう思います。(笑)

これからもしんどいことも投げ出したくなることも、私たちが想像できないくらいたくさんあると思います。でもとにかくファンとしてはみんなが健康で笑ってくれれば、ただそれだけでいいんです!本当にただそれだけで120点満点のスーパーアイドルだと思ってます!それに尽きます!!デビューということで、いよいよメンバーは人生のパートナーになると思います。これからもみんなで心から笑って楽しめることをたくさん見つけてください。

7人ずっとちょうどいい距離感でなにわ男子らしく笑顔でいてくれることを心から願っています。

 

2. 音楽は玉手箱

"音楽は玉手箱" というのは私が勝手によく使う言葉です。音楽と共に生活していると、勝手に音楽と生活がリンクしていきますよね。学生時代によく聴いた音楽を久しぶりに聴くと、学生時代のことを玉手箱を開けたように鮮明に思い出したりしませんか?私だけでしょうか?(笑) そのような意味でよく "音楽は玉手箱" と勝手に言っています。

今回のデビュー曲「初心LOVE」も私の今ある状況や心身の状態と共に記憶されて、私の音楽の玉手箱になると思います。それは同じくなにわ男子にとってもそうなると思います。微力ながら全力で応援し、なにわ男子のデビューを盛り上げて、数年後彼らがこの玉手箱を開けたときに笑えるような玉手箱になるよう、一なにふぁむとして応援したいと思います。

私情も私情ですが、こんな今もいつか笑えますように!!!とここで願っておきます。(笑)

 

3. 7人の"望む形"で"望む未来"を

関ジュに出会ったのは2020年の春だったため、リアルタイムで追えたのはたったの1年半ちょっとです。追い始めてからのこの大変短い期間でもみるみる成長する7人。著しい成長を遂げ、きらきら笑う眩しい7人から目が離せませんでした。気づけば『彼らが望む未来が望む形で実現されますように』と心から願うようになりました。その後7月28日のライブで行われたサプライズデビュー発表で肩を組んで涙する7人を見て、7人の望む形での未来がまず一つ実現された瞬間だと実感しました。

これからもずっと7人で、7人が望む未来が望む形で実現されることを願って、全力で応援していきます!!!!!!!

 

 

 

彼らへ、永遠という負荷ではなく、永遠に続けばいいなという祈りを込めて。

僕たちは素粒子でできている 僕たちもまた自由自在なんだ

f:id:ni-yu:20210711235504j:imageTHE GREATEST SHOW-NEN

いろいろな劇団の方と毎公演素敵な舞台を作り上げるAぇ。どの公演も好きなんだけど、その中でも何故か今回の銀河鉄道の夜が心に突き刺さりました。理由はうまく説明できないけれど、この5週間取り憑かれたようにリビングのテレビでひたすらに繰り返し観た。何なら出勤前に身支度しながらリビングのテレビでかけてました。(家族大迷惑)

このうまく言えない気持ちをなんとか文章にでもして消化したいという気持ちから、思ったことをここに残すことにしました。

解釈は自由だ!!!と自分で予防線を張ってから始めますね(笑)

 

【もくじ】

1. ジョバンニの"ネガティブ"は本当に性格?

 ・歌詞と共に見るジョバンニの心

2. なぜジョバンニは銀河鉄道に乗れた?

 星めぐりの歌ケンタウルスの露
  ・"肉体の死" と "心の死"

3. "それぞれの"本当の幸せと自己犠牲の関係

 ひらパービリケンの意味

 ・カンパネルラの生命

 ・青年の背負った二つの命と "幸せ"

 ・ジョバンニの埋まらない孤独

 ・サソリの自己犠牲

 ・ジョバンニの本音と苦しみ

 ・カンパネルラと自己犠牲

4. ジョバンニとカンパネルラの幸せの終点

 ・僕達は素粒子でできている

 ・私が思うジョバンニとカンパネルラの関係

5. ジョバンニとカンパネルラの "共に生きる"

 ・先生の台詞の違和感と自己犠牲

 ・生きているジョバンニと死んでしまったカンパネルラの "共に生きる" ということ

 ・星めぐりの歌の変化
 

6. さいごに

 

 

1. ジョバンニの"ネガティブ"は本当に性格?

  • 歌詞と共に見るジョバンニの心

いつまで続くのか なんのために生きるのか

誰にもわからない僕の気持ち

文字を並べては 意味を探さないで

虚しさが募る 夢は遠ざかる

何度も夢を見て諦めて繰り返し

誰にも届かない僕の気持ち

文字を探しては力なく笑い

躓いたままで今を抜け出せず

いつかはいつかは いつかはいつかは繋がって

この銀貨のような光をください

この銀貨のような光に触れたい

いつかいつか僕もきっと

(耳コピのため、間違っていたら申し訳ないです。)

これは活版所の店主(佐野晶哉)が歌う曲の歌詞です。あの透明度の高い晶哉の声もマッチして切なくなりました。そして、何とも苦しく、やるせない歌詞。

これがジョバンニ(正門良規)の心の叫びだと思います。

活版所の店主には「バイト君はいつもああして妄想しながらバイトするのさ」と言われています。苦しい生活の中、ジョバンニなりに希望を探して "いつかは" という思いでなんとか生き繋いでるんですよね。

店主に友だちはいない、根暗でネガティブだから誰も近づかないと言われ、従業員からも「家は貧乏だっていうし悲惨だな」といわれます。学校ではお父さんのことで揶揄われていました。

ジョバンニの元からの性格だけでなく色々な人からの悪意のあるからかいや、悪意の少ない同情、夢を見てもすぐに現実が突きつけられて絶望せざるを得ない状況、その全てがジョバンニを深い孤独に追い詰め、ジョバンニを根暗でネガティブにしていっているように感じました。家庭環境などから卑屈になってしまう子どもの姿がとてもリアルで苦しかったです。ぱっと見た感じ何となく達観していて大人っぽいようにも思うが、そうならざるを得ない周りの環境と、それについていけない子どもの心のアンバランスさ。"大人にならざるを得ないジョバンニの心"と、"子どもらしいジョバンニの心"とでの揺らぎが、あの卑屈で大人っぽいのにどこか子どもっぽさも持ち合わせるアンバランスなジョバンニを作り上げているのだと感じました。

ジョバンニは人からの言葉、夢を見るたび突きつけられる現実、自分の心の揺らぎから藻掻き苦しみ、深い孤独の闇に溺れていくんですよね。

 

2. なぜジョバンニは銀河鉄道に乗れた?

僕たちは まだ見ぬ場所へ

呼ばれてる 呼ばれてる

散りばめた 銀河の向こう

呼んでいる 呼んでいる

この暗闇に吸い込まれそう

汽車が夜風に吹いてくる

もう足元は地球を離れて

星をぬうように

走り出した歌 君と僕

誰も見ていない世界があるよ

風をぬうように

走り出した歌 僕と君

君と見ていたい世界があるよ

(耳コピのため、間違っていたら申し訳ないです。似た音で別の言葉でも成り立ちそうな歌詞が多くて…。そして馬鹿にはリチャの英語リスニングできませんでしたごめんなさい。聞き取る努力もしてないですごめんなさい。)

これはジョバンニとカンパネルラ(福本大晴)が作ったとされる『星めぐりの歌

迷いに迷って見に行った星のステージでこの曲を歌うクラスメイトとカンパネルラを見て「僕も歌いたかったよ。歌いたかったけど…ちくしょう!僕は汽車だ しゅっしゅっぽっぽっ 遠く どこまでも」とその場を離れて、天気輪の丘へ向かいました。

天気輪とは?となったので天気輪についてネットで調べてみました。調べたところ東北地方の墓地や村境に見られ、農耕に恵みをもたらす天候を祈り、死者を弔う目的で設置された仏教的な宗教設備の一種とのこと。形態的には、石や木製の柱の手の届く部分をくりぬいて、回転可能な輪を取り付けた形状をしており、祈祷者はそれを回して祈り、願をかけるというものらしい。ざっくり言うとジョバンニの言う天気輪の丘は、恐らく死者を弔う仏教的な宗教設備がある丘のことを指していたようです。

ジョバンニは天気輪の丘で楽しそうにしていたカンパネルラの姿を思い出しながら座り込みます。空を見上げたジョバンニは一度「うわあ〜!」と言ったものの、瞳が変わり次のセリフを放ちます。

「この白いのは全部星だっていうのに 僕はひとりだ」

このセリフの後、ずぶ濡れで穴という穴から血が出ているカンパネルラが出てきます。ジョバンニがどうしたのかと問うとカンパネルラはこう答えます。

ケンタウルスが降らせた露に濡れたんだ ハルレヤ ハルレヤ」

星のお祭りの冒頭シーン、ザネリやカンパネルラたちが声を揃えて言うケンタウルス、露を降らせのセリフが思い返されます。星のおまつりは「死んだ人が夜空にかえれるように星のように灯籠を灯して川へ流すんだ」とカンパネルラが話していました。あんなに明るく楽しく笑いあって言っていたケンタウルス、露を降らせ」がこんな形で登場するなんて、また残酷ですよね。星に見立てた灯籠を川に流して天の川を作り、その天の川に溺れて死んでしまうのですから。

 

  • "肉体の死" と "心の死"

たくさんお話してしまいましたが、ここで見出しのテーマに戻ります。銀河鉄道は恐らく死者が夜空に行くために乗ることができる鉄道ではないのかと思ったのですが、なぜ死んでいないジョバンニが乗れたのでしょう?銀河鉄道は基本死者のみ乗れるものと仮定して考えてみました。

カンパネルラは灯籠を流した川に落ちて溺死し、肉体が死んでしまうので銀河鉄道に乗ることができたのだと推測します。対してジョバンニは肉体は死んでないものの、心が死んできていたのでは?と思いました。先程話したようにジョバンニは人からの言葉、夢を見るたび突きつけられる現実、自分の心の揺らぎから藻掻き苦しみ、深い孤独の闇に溺れておそらく心が溺死しかけていました。そう考えると "肉体が溺死したカンパネルラ" と "心が溺死しかけていたジョバンニ" が死者を夜空に連れる銀河鉄道に乗ることができたのではないかと思います。

ジョバンニはカンパネルラが楽しそうにしていたことを天気輪の丘で思い出していたし、カンパネルラはジョバンニがいないと駄目だと気づいたと話していました。実際に「お父さん、お母さん、ジョバンニーー!!」と叫びながら川に飛び込んでいます。互いが互いの事を同じタイミングで想っていたというのも、二人を引き合わせた鍵だったのでは?と感じてしまいました。

 

3. "それぞれの"本当の幸せと自己犠牲の関係

 

カンパネルラ『みんなはね、随分走ったけど遅れてしまったよ。ザネリも走ったけど間に合わなかった。』

ジョバンニ「どこかで待っていようか?」

『ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎えに来たんだ。』(首元を抑えて苦しむ)

「カ、カンパネルラどうしたの!?」

『あ、しまった!僕水筒を忘れてきちゃった。スケッチブックも。白鳥を描きたかったのに。』

「誰かに持ってきてもらおうか?」

『お母さん…。お母さんは僕を許してくれるだろうか?』

「そうだね、僕たち内緒で旅に出ちゃったから。」

『僕、お母さんが幸せになるならどんなことだってする。でも、一体どんなことがお母さんの1番の幸せなんだろう。』

「カンパネルラ、君のお母さんは何も悲しむようなことないと思うよ?」

僕分からないんだ。でも、誰だって本当にいいことをしたら1番幸せなはずなんだ。だから、お母さんは僕を許してくれると思う。

「どうしたの?」

『人間はなぜ死んでしまうんだろう?死んでしまったらどうなるんだろう。僕に生きていた意味はあるんだろうか。それに気づけなかった人間は地獄へ行くのかな!?』

「カンパネルラ!」

ここから二人の "本当の幸せ" を探す旅が始まります。ここから登場するシスター(小島健)が面白かったですね。面白おかしく尚且つ熱く愛を語る辺りも、シスターのビジュアルも全てが小島にぴったりすぎて…。セリフもキャラクターも面白いのですが、案外大事なことを言ってましたよね。

シスター「いいえ、地獄に行くのではありません。死んだ人はみな天国、ひらパーへ行くのです。ビリケンを信じる人もビリケンを信じないは人もひらパーのことはみんな大好きです。人間は消えてなくなるのではありません。」

死んだ人はみな天国へ行く。ビリケンを信じる人も信じない人も( =どんな思想を持っている人でも )みな天国へ行ける。このセリフが最終のカンパネルラの長台詞にかかっているのかなと思いました。このシスターの台詞に対して「よく分かりましたありがとう」と返答するカンパネルラと「僕には道案内をしているように聞こえます」と返答したジョバンニの対比も面白かったです。これを理解しているカンパネルラだからこそ、最後のシーンであの長台詞の言葉が出てくるんですよね。

 

  • カンパネルラの生命

「思い出したくない 思い出したくない 苦しいよ!

川だ、僕たちは川へ灯籠を流しに行ったんだ…。」

 

ここからのTIMEZONEも圧巻でした。カンパネルラの強い意志と命が燃えるような表現が歌詞や曲調とマッチしてました。首元を抑える振り付けも美しく悲しくて辛かったです。カンパネルラの生命の強さと儚さが伝わってきた1曲でした。

 

  • 青年の背負った二つの命と "幸せ"

途中で遭難した三人に出会います。そこのシーンでの青年(草間リチャード敬太)の台詞でこのようなものがありました。「何が幸せかはわかりません。それがどんなに辛くても正しい道を進むためなら。」この青年は少女(小島健)と少年(前川ゆうさん)を守ることが自分の義務だと思いながらも、船に乗れない他の小さな子どもの様子を見て押し退けてまで二人を乗せることは選択できなかったようでした。三人でそのまま神様のところへ行くことの方が "幸せ" と感じたのでしょう。究極の自己犠牲ですよね。幼い少女と少年の人生も抱えての思い決断だったはず。とても辛く苦しい選択ですが、自分の中の倫理や幸せを天秤にかけた結果、彼なりの "幸せ" だったんだろうと思います。それぞれの幸せを考えるというところでとっても大事な役だったと思いますが、さすが力強い言葉と眼差しで演じるリチャでした。

 

  • ジョバンニの埋まらない孤独

ジョバンニ「どうして僕はこんなに悲しんだろう」

少年『どうしたの?』

どこまでもどこまでも僕と一緒にいってくれる人はいないんだろうか。カンパネルラだってあんなに女の子と楽しそうにして。」

『お兄さん、心が忙しいんだね。』

「僕はもっと心の大きなきれいな人間になりたいのに、辛いなあ。」

周りとの関係や愛着からか、やはり卑屈なジョバンニ。カンパネルラへの過度な依存で心を埋めているような印象です。きっと人との関係や愛着から、このカンパネルラとの関係で心のバランスを保っているのかなと感じました。ジョバンニなりの幸せを探しながら藻掻く過程だと捉えています。

 

  • サソリの自己犠牲

昔パルドラという野原に1匹のサソリがいたんだ。

ある日サソリはイタチに食われそうになった。

サソリは一生懸命逃げた。

でも逃げている最中に井戸に落ちてしまった。

生きたい、生きたい、でもどうしても上がれない。

溺れはじめたサソリはお祈りをしたんだ。

今度生まれてくるときはこんなに虚しく命を捨てず、皆の幸せのために私の体をお使いください。

サソリはそう願うといつしかサソリの体は赤い炎に包まれ、夜の闇を照らしたそうだ。

これもざっくりいうと自己犠牲のお話ですよね。井戸に落ちて虚しく死ぬくらいなら、イタチにでも命をくれてやればまた一日イタチも生き延びることができた。今度生まれてくるときには皆の幸せのために私の体をお使いくださいと祈った。サソリの体は赤い炎に包まれ、夜の闇を照らした照らしたそうだというのはカンパネルラが言うようにサソリ座のアンタレスのことを言っています。アンタレスとはサソリ座の心臓部分に当たる赤く輝く1等星のことだそうです。

 

  • ジョバンニの本音と苦しみ

ジョバンニ「どんな大きな闇の中だってさ、きっとみんな本当の幸せを探しに行くんだろうね。僕たちはどこまでも一緒に行こうね、カンパネルラ。」

カンパネルラ『きっといくよ。でも本当の幸せってなんだろう?』

「わからない。それが分かればどんな峠の上り下りだって、幸せに続く一足ずつだって分かるのに。

『あ!南十字星がみえてきた!』

「なんてきれいなんだろう…。」

『きっとあそこが本当の天国なんだよ!僕のお母さんがいるよ!』

ジョバンニから発される、「それが分かればどんな峠の上り下りだって、幸せに続く一足ずつだって分かるのに」という台詞、とても苦しい台詞ですよね。ジョバンニは割とさらっと言うのですが、これが今のジョバンニの苦しみを表現している気がします。自分の今の苦悩の先、いつか本当の幸せをみつけられるかどうか分からない中、不確かな峠の上り下りを進み続ける怖さと苦しみが感じられました。

 

  • カンパネルラと自己犠牲

ここにきて話は戻りますが、この見出しの冒頭のジョバンニとカンパネルラの会話です。

『お母さん…。お母さんは僕を許してくれるだろうか?』

「そうだね、僕たち内緒で旅に出ちゃったから。」

『僕、お母さんが幸せになるならどんなことだってする。でも、一体どんなことがお母さんの1番の幸せなんだろう。』

「カンパネルラ、君のお母さんは何も悲しむようなことないと思うよ?」

『僕分からないんだ。でも、誰だって本当にいいことをしたら1番幸せなはずなんだ。だから、お母さんは僕を許してくれると思う。』

「どうしたの?」

『人間はなぜ死んでしまうんだろう?死んでしまったらどうなるんだろう。僕に生きていた意味はあるんだろうか。それに気づけなかった人間は地獄へ行くのかな!?』

「カンパネルラ!」

この噛み合ってるような噛み合ってないような、全く噛み合っていない会話。お母さんが許してくれるかどうかという話は、カンパネルラは自分の命を危険に晒して川に飛び込むという、自己犠牲の選択をした事を指しているのでは?と推測します。

 

お母さんは自分の命を捨てる結果になってしまったことを許してくれるだろうか?お母さんはこれをどう思うのだろう?でも、人の命を助けるといういいことをしたから、お母さんは許してくれると思う。そう信じたい、というように聞こえました。

 

4. ジョバンニとカンパネルラの幸せの終点

カンパネルラ『理科の先生に習ったよね。今から150億年もの昔、空に何もないときにビッグバンが起こって何もかもが生まれたの。

だからこの宇宙にあるものは、もともとはみんな一つなんだよ。

僕もあの星も大爆発のかけらなんだって!

みんな一つなんだよ。

ジョバンニ「習ったよ?」

『科学の先生に習ったよね。

僕たちは水が酸素と水素からできていることを知っている。

実験してみたら本当にそうだったんだから、誰も疑いやしない。

けれども昔は水銀と塩でできているとか硫黄でできているとか色々議論したんだ。

皆めいめい自分の神様が本当の神様だって言うだろう。

けれども、自分と違う神様を信じる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう?

僕たちの心が良いとか悪いとか議論するだろう。

そして勝負はつかないだろう。

いろんな人がいろんなことを言っている。

哲学で考える人もいれば、数学で考える人もいる。

でもみんな同じことを言っているんだ。

僕達はもともと一つだからね。

一番進んだ哲学はね、今自分がここにいることを説明するのが難しいと言っている。

理論物理学素粒子の位置や速さが求められないという。

素粒子は自由自在だから捕まえられないんだって!

僕たちは素粒子でできている。

僕たちもまた自由自在なんだ。

 

すごい深い台詞ですよね。人種も、信仰する神様も、哲学も、それどころか生死さえ超越したその先の台詞。すべての人や物、思想を受け止めた上の重い台詞。真っ直ぐな瞳、自分の言葉として心を乗せてありのまま喋る大晴はまさにカンパネルラとして生きていました。

 

  • 私が思うジョバンニとカンパネルラの関係

車掌「この切符は使えません!3次空間のものですから!」

ジョバンニ「どこまでもいけるって言ったじゃないか!?」

車掌「その通りです!しかしこの切符はまだ使えないんです!」

ジョバンニ「でもカンパネルラが!」

車掌「この人は今夜、遠いところへ行くんです!君はその切符で本当の世界の火や激しい波の中を大股でまっすぐ歩いていかなければいけないよ。たった一つしか持っていないその切符を無くしちゃいけないよ。」

ジョバンニ「カンパネルラ、いつまでも一緒に行くんだよね!?」

カンパネルラ『ジョバンニ、一緒に行けない。でも、僕たちはビッグバンでできたんだから、みんながカンパネルラだ。君の出会うすべての人がカンパネルラだよ。

 

車掌の台詞も刺さりました。「君はその切符で本当の世界の火や激しい波の中を大股でまっすぐ歩いていかなければいけないよ。お話が進む中、ずっとジョバンニが周りに惑わされながら生きてるように見えました。周りからの言葉やレッテルの影響から、より根暗でネガティブで卑屈になっていくようでした。そのしがらみから解き放ってくれるような言葉のように思いましたが、やはりジョバンニはカンパネルラとの関わりで心を保っていて、カンパネルラと一緒でないことに大きな不安を感じているような気がしました。きっと、ジョバンニにとってカンパネルラは道を灯す光でもあったのでは?と思います。

しかしここでカンパネルラが『ジョバンニ、一緒に行けない。でも、僕たちはビッグバンでできたんだから、みんながカンパネルラだ。君の出会うすべての人がカンパネルラだよ。とジョバンニに告げます。シンプルにさっきカンパネルラ話していたように、みんなビッグバンで生まれたかけらだから、みんな一つ、みんな一緒という意味もあると思います。ただ、それだけじゃなく、今ジョバンニの周りにいる人もこれから出会う人も、もしかするとジョバンニにとってのカンパネルラになるかもしれない、カンパネラのように支えとなってくれるかもしれないという意味合い、カンパネルラの生死をも超越した思想も感じました。今のジョバンニとってカンパネルラからの言葉ほど重いものはないと思います。

長い旅を経てこのあとジョバンニは三次空間へかえり、カンパネルラは第四次の汽車に乗っていってしまいます。三次元、四次元からきているのかな。ジョバンニも三次空間へかえってきて現実を知り、それを悟らざるを得なくなるんですよね。

 

5. ジョバンニとカンパネルラの "共に生きる"

  • 先生の台詞の違和感と自己犠牲

「カンパネルラさんは残念なことをしました。悲しまず一生懸命やりましょうね。」

この台詞はじめ気持ち悪くて仕方なかったです。カンパネルラの命を失うという惜しいことをした?などと色々考えたのですが、何度聞き返してもカンパネルラが行ったその "行動" が残念だったというように聞こえました。これ、自己犠牲に対する考えの違い?それぞれの幸せとは何か?というところの違いなのでしょうか…。考えは十人十色で、カンパネルラ自身もお母さんがどう思うか心配していたように、自己犠牲を "幸せ" とする人や、そうでないとする人がいるということの表現なのでしょうか?そもそもザネリの命は助かりましたが、カンパネルラの命は失っていますし、先生という立場では思想どうこうより自己犠牲を正義、幸せとはできませんよね。そもそも自己犠牲=正義は怖いですよね。人のために、国のために、そういってたくさんの命が失われた過去がありますし。行き過ぎた "人のため" 、更にそれが暗黙の了解になる世界ほど怖いものはないですよね。自己犠牲についてたくさん描かれてる中、この先生の台詞はとても大切な台詞だったのかもしれません。

 

  • 生きているジョバンニと死んでしまったカンパネルラの "共に生きる" ということ

ジョバンニ「カンパネルラ僕たちはしっかりやろうね。たった1枚しかないこの切符を無くさないように大股で歩いていかなくちゃ。」

この宇宙のものはもともと一つで、みんなはビッグバンのかけらでしかない。うまく説明ができないのですが、きっと生きているとか生きていないとかではない、その先の台詞なんですよね。この台詞真っ直ぐしっかりジョバンニが言うんですよね。周りの言葉やレッテルなどに惑わされて、環境に翻弄されて心が溺死していたジョバンニが生還し、自分の意志を持ってはっきりと話す瞬間に思えました。

 

僕たちはまだ見ぬ場所へ

呼ばれてる 呼ばれてる

散りばめた 銀河の向こう

呼んでいる 呼んでいる

この暗闇に吸い込まれそう

汽笛が夜風についてくる

もう足元は地上を離れて

星をぬうように走り出したんだ

誰も見ていない世界があるよ

ガタンゴトンガタンゴトン

ガタンゴトンガタンゴトン

太陽が眠っているよ

今のうち 今のうち

僕たちは知らない場所へ

踏み出せる 踏み出せる

この天の川に飲み込まれ

光の速さについていく

もう足元は地上を離れて

風をぬうように走り出したんだ

君と見てみたい世界があるよ

(耳コピのため、間違っていたら申し訳ないです。)

星めぐりの歌、歌詞が増えているだけでなく前半で歌っていたときと同じと思われる箇所でも少し歌詞に変化がありました。

「汽車が夜風に吹いてくる」

→汽笛が夜風についてくる

「もう足元は地球を離れて」

→もう足元は地上を離れて

「走り出した歌」

→走り出したんだ

実際にカンパネルラと共に汽車に乗って銀河を旅したからこそ、実体験が伴ってこういう歌詞になったのでしょうか。それと共に、カンパネルラは日記を持ったまま溺れたのか、銀河鉄道乗車以降、交換日記はボロボロですよね。恐らく濡れてそのまま乾いた状態でボロボロになっているのかと思うのですが、もしかして交換日記の文字が滲んで読みづらくなっていたのでは?と考えました。きっと二人で考えた歌詞を一言一句覚えておくことは難しいので、思い出しながら滲む文字を読む中で実体験とリンクしてジョバンニは意図せず歌詞を変えて歌ってしまっているのでしょうか。だとすればものすごく悲しい事実ですよね。

 

「君と見ていたい世界があるよ」

→君と見てみたい世界があるよ

これも上記と同様だと勝手に解釈してますが、それプラス見ていたい、見てみたいの違いに生きる世界の違いを感じざるを得ませんでした。

同じ世界で生きていた頃は隣に並んで見てみたい世界をいっているように思いますが、それぞれが存在する世界が別となったいま、やはりこれまで通りではないですよね。それでも君と見てみたい世界があるという、ジョバンニなりの現実を受け入れた上での願望を感じました。

 

この歌をうたう立ち姿素敵でしたね。みんなとってもいい顔をしてました。何より小道具を置いたはずの正門良規の立ち姿はジョバンニで、福本大晴の立ち姿はカンパネルラでした。役を、物語を生きただけでなく、二人の心の中にもそれぞれジョバンニとカンパネルラが生きているってことですよね。

 

6. さいごに

最初はシンプルにあの衣装と笑いとともにテンポよく進む銀河の話にはてなが飛びまくりましたが、見れば見るほど深みのある舞台でした。今この劇団と役に出会えたことに感謝していた正門さんでしたが、私自身Aぇを通して劇団鹿殺しさんに出会えて、この銀河鉄道の夜に出会えて本当に良かったです。銀河鉄道の夜のストーリーは知っていましたが本当に表面的にしか知らなかったので、きちんと考えるいい機会でした。もう一回原作読みたいと思います。また読み返したら今の感想もがらっと変わっていくかもしれないけれど、今ある情報と今の自分の思想で感じたこの感想は忘れないでいたいなと思います。

人生を乗せて命を燃やしながら物語を生きるAぇ、めちゃくちゃかっこよかったし、めちゃくちゃいきいきしてたなあ。瞳が真っ直ぐ生きてた。

きっとこの舞台は私の人生でも今後行き詰まったときに思い返す大事な舞台になりそう。生きる上で大切にしていきたい言葉がたくさんありました。ありがとう。

 

 

 

僕たちは素粒子でできている。僕たちもまた自由自在なんだ。

 

 

 

 

 

そして!!ちょっとこれカットされてんのも、無観客をテレビで細切れ放送ももったいなさすぎるんで、いつか改めて生でしてもらってもよろしいですか!?!!

でも、こんなご時世、できる形を考えて発信してくださるグレショーさんに大感謝!!グレショーなければ出会ってない!これからもAぇ! groupをよろしくお願いいたします!!!(誰?)

眩しい煌めきと " 永遠 " の祈り

f:id:ni-yu:20210502022517j:imageただ知っているというだけの存在だった関ジュ。

ずっとおじさんアイドルだけを推していた私が突然Jrにハマった。

そこから約一年が経ち、私が感じるJrの魅力、彼らの魅力を改めて整理したくなった。

 

1. はじめに

  • 関ジュを好きになった経緯

自粛生活が始まった2020年春、

3年目に突入した仕事も半分が在宅になり、時間と心に余裕ができた。

そこでとにかく手当たりしだいにジャニーズを見ていた私が偶然たどり着いた happy live with you。

元々おさかな顔、八重歯、くしゃっと笑う笑顔が好きな私が西畑大吾にハマらないわけがなかった。

長くなるので色々すっ飛ばすが、NEXT STAGE で『ぼくを信じて』と歌う大西風雅が刺さってリトルを観だし、

キミアトラクションの『ぼくがまさやだわん』と言う佐野晶哉が刺さってAぇを観だし、

気づけば過去を遡って色々歴史を学び、マッタンもちびっこも覚えてた。

本当に光の速さでハマった…………(笑)

そして今もなお、関ジュの現在を追うと共に歴史も勉強中。

 

2.  私の思う三つの魅力

  • 全力で "アイドル" をする彼らの煌めき

ライブではぴかぴか笑顔でカメラを追い、ファンサをする。

バラエティでは身体を張り、笑いを取りに行く。

とにかくパフォーマンスもバラエティも全てにおいて全力投球

人に見られる機会が増えれば増えるほどかっこよくなり、自己プロデュースもうまくなっていく彼ら。

目に見えてわかるほどの著しい成長を見守ることができるのはとても嬉しいし楽しい。

なにより経験が浅く初々しい姿も愛おしくて応援したくなる。

まだまだ未熟で不安定なところもあるけれど、そんな未完成で人間らしい姿も魅力の一つだと思っている。

もっともっと成長しようと貪欲にがむしゃらに突き進む彼らの煌めきは眩しい。

同世代の彼らのがんばる姿を見ると勝手に自分もがんばらなければと思えるようになる。

 

  • 真っ直ぐな言葉で伝えられる歌詞

関ジュの曲って明るいメロディの楽しい曲がたくさんあるが、案外歌詞の内容が心にずんっとくるものが多い。

好きな曲を挙げだすときりがないが、最近の曲でいうと『アホ新世界』の歌詞が好き。

どうしても君が笑えなくなったとき

ボクら君のココで待ってんで!笑い方教えたんで!

全部全部置き去って

本当に笑えなくなってきたときに聴くと更に笑えなくなるが、その後はすっきりするためよく聴いている。

オリジナル曲の真っ直ぐな思いが乗せられた歌詞がとても魅力的。

これも全力でがんばる彼らが届けてくれるからこそ心に沁みる曲である。

関ジュのオリジナル曲の歌詞についてはもっと掘り下げたいので、また気持ちが向けば別で記事を書きたいと思う。

 

  • "みんなで売れてやる" のきもち

関ジュといえば特有の家族感のある関係性が魅力だ。

縦のつながりは大きなもので言うとデビュー組からちびっこまで。

関ジュの中だけでもしっかり縦のつながりが感じられる。

公演で関ジュのお兄ちゃん組、ユニット組はちびっこと一緒になると必ずちびっこを呼んで、迎えに行ってカメラに写そうとする。

はじめは 優しいな くらいにしか思っていなかった。

ただ昔の映像をみるうちに、自分たちが小さい頃に先輩たちにしてもらってきたことをそのまましているだけなのかということに気がついた。

あえて "だけ" という言葉を使ったのも、本当にそのことが当たり前のようにナチュラルで自然だったから。

本当に当たり前のようにちびっこたちもみんな前に出してみんなでパフォーマンスをする。

また、ユニットを組む彼らも至るところで "関西ジャニーズJr.の" と言うことが多い。

ユニットだけでなく、関西ジャニーズJr.を背負って羽ばたこうという姿に胸打たれる。

この家族システムにより、推しの推しは推し、推しの友だちは推しとなり、気づけば自然と関ジュ箱推し寄りとなっていった。

 

3. おわりに

アイドルに "永遠" がないのは分かっている。

アイドルの始まりがあれば、遅かれ早かれアイドルの終わりもあるだろう。

アイドルたちにアイドルの永遠を勝手に願うのはもう辞めようと思っていたが、Jr.の彼たちには "永遠" を願ってしまうし願ってあげたいと思う。

彼らはまだデビューしていない。

そんな彼らがこれからもアイドルとして永遠に続くことができるよう願っていたい。

彼らを信じられるのは私たち、微力であれ応援できるのも私たち。

彼らが望む形の未来が実現されるよう、彼らの望む未来を全力で応援したい。


彼らへ、永遠という負荷ではなく、永遠に続けばいいなという祈りを込めて。